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ジャズピープル

留学中に触れたジャズに魅せられて、クラシックからジャズの世界へ

たなかかつこさんはクラッシックピアノを志しアメリカへ留学。しかし、アメリカでジャズに出会い、ジャズピアニストのケイ赤城さんに師事。留学後帰国し、派遣社員とジャズピアニストの二足の草鞋の生活。そして、一念発起し、憧れの地ニューヨークへ。今は年1回程度帰国し、全国各地でジャズライブやクリニックを精力的にこなしているそうです。これまでのご自身のことやニューヨークでの生活、ジャズ、思い出の神戸について語っていただきました。

person

たなかかつこ

LAのコンベンションセンターで開催されたJAPAN EXPOでフュージョンバンド「Doppo and AZOTH」のキーボード奏者として出演した後アメリカ生活に興味を抱き、大阪音楽大学器楽科ピアノ専攻を経て国際ロータリー財団国際親善大使として米国カリフォルニア州立大学ロングビーチ校へクラシックピアノ専攻で留学。在学中数多くの奨学金を授与され、学外でケイ赤城とブラッド・メルドーに師事してジャズを学ぶ。卒業後は帰国して社内翻訳・通訳者として働きながらジャズクラブで演奏を開始。2008年にNYに移り、ニューヨーク市立大学(CUNY)クイーンズ・カレッジ大学院に通いながらRoy Hargroveらとセッションを数多く経験。ジャズ科修士号を取得と同時にAntonio Hart (アルトサックス)、Danton Boller (ベース)、Willie Jones III (ドラム)とオリジナル曲を収録しデビューアルバム「BEYOND INTERSECTION」を2010年にリリース。以降はJones、Victor Lewis、Lonnie Plaxico、Gene Jacksonら国際的トップミュージシャンをメンバーに迎えたリーダーバンドをNYのKitano, Zinc Bar, Fat Cat, Mezzrowと日本で定期的に行っている。アフロ・ラテン、ゴスペル教会、など幅広いジャンルでニューヨークのプロのピアニストとして活躍中。教育機関からの信頼も厚い。2016年8月にWillie Jones IIIとCorcoran Holtのトリオで2枚目のCD「WISH BOARD」を発売。

interview

留学先でのジャズとの出会い。
ケイ赤城さんのようになりたい。




── お忙しい中、インタビューへのご協力ありがとうございます。たなかさんがジャズを始めるまでのお話をお聞かせ下さい。

もともと大阪音大出身で、その時はクラッシックピアノをやっていました。ある日、大学の掲示板に貼ってあったロータリー財団国際親善奨学金の募集要項を見て、地元の堺ロータリークラブに申し込み面接に行きました。異文化の認識と敬意を深めることを目的とし、ロータリークラブのある外国へ留学できる奨学金です。私は堺ロータリークラブの奨学生候補者として大阪・和歌山を合わせた2640地区での選考会へ行き、そこで選んで頂いて、1年間の学費、生活費、渡航費などを授与されてカリフォルニア州ロングビーチ市にあるカリフォルニア州立大学に留学しました。その時の専攻もクラッシック音楽です。そこでベースのDanton Boller(ダントン・ボラー)と知り合い、彼がジャズをやっていたので、一緒に地元のジャズクラブへよく行くようになりました。ただ、自分は全然演奏しないで、観に行くだけでした。

── クラシックでアメリカへ行かれたと思うのですが、ジャズの演奏を始めたのは?

ピアニストのケイ赤城さんの演奏をダントンと聴きに行った直後です。ケイさんはマイルス・デイビスのバンドをやめて自分のバンドを始めたばかりで、ダントンが仲良くしていたドラムのWillie Jones III (ウィリー・ジョーンズ・3)がバンドメンバーだったことがきっかけです。ケイさんはあまりにも英語が上手で日本語は話せないのだろうと思っていましたが、日本人だと分かり、なおさらレッスンを受けたいと思いました。彼は当時ピアノを教えていなかったのですが、自宅へダントンと2人でセッションへ行った時に私の熱意が伝わったのでしょうか、レッスンを受けることができるようになりました。

── 英語を話すことは出来なかったのですか?

音楽の授業では向こうの言いたいことがわかるので何とか会話が成立していましたが、一番英語が大変だったのは、政治学とか生物学といった授業です。留学先は普通の大学でしたので。音大では留学先に単位を移行できるような一般教養科目はほとんどありませんでした。ケイさんが日本語を話せることは本当にありがたかったです。

── 留学中にジャズに傾倒していったのですか?

ジャズにはなかなか踏み出せませんでした。クラシックしかやってこなかったし、仕事がきちんとあるかもわからないですし。

── 変わる勇気はいりますね。

当時は今さらジャズができるわけがないと思っていました。クラシックならそのまま大学院へ進んで大学で仕事をすることが可能でした。曲も全く知らなかったですし。ケイ赤城さんに出会い”ジャズをやりたいんですけど”と相談すると”君は、どうなりたいの?”と聞かれました。”ケイさんみたいに自由にピアノを演奏できるようになりたいんです!”と答えました。

── 向こうにいる間にクラッシックからジャズへ方向を変えたのですか?

とりあえず”やってみたい”という気持ちが先行していました。”あんな風(ケイ赤城さんみたいに)に弾けるんだったら、どんなことでもします!”と言っていました。

── 留学中はクラシックとジャズの両方をやっていたのですか?

担当教授には残念に思われたのではないでしょうか。学内オーディションの演奏で選ばれて、ロータリー奨学金の他に、3つ奨学金をもらっていましたから。一応、両方頑張っていたのですが、クラシックとジャズで何か重なった時はレッスンもすっぽかしていました。

── ジャズとクラシックの両方を目指す方はいるのでしょうか。どちらも音楽の世界観は違うような気がしますが。

最終的にはどちらかを選ぶことになると思います。私はジャズというよりピアノが好きなので、今でもクラシックは練習の時に弾きます。人前では演奏しませんが。仕事でクラシックの依頼があれば、できるものはすることもあります。スタイルがちがうだけでどちらも素晴らしい音楽。楽しんで演奏しています。

ジャズは分からないことだらけ。
ジャズの名盤から学ぼう。


── ところでクラシックとジャズのピアノはどういうところが違うと思いますか?

日本語と英語が違うように、ジャズとクラシックは言語が違うと思います。クラシックは楽譜を読んで音を出し、曲を分析・理解して、暗譜して演奏します。ジャズは、A4用紙1ページくらいにメロディとコードだけがあって、そのコード進行に沿って即興します。メロディを題材に、どのような味付けで自然発生的に作曲してその場で音楽を創っていくかは演奏者の好みです。ニューヨークに行ってよくわかったことの1つに、耳から聴いて覚えることがメロディーを演奏する上でも大切だ、という事があります。スタンダード曲を演奏する場合は、名盤や自分が好きな音源を3つか4つくらい選んで(歌が入っている録音も選び、歌詞を調べる)、いろんな人の演奏を真似したり、歌詞から曲の意味を理解して自分で曲を消化して、自分らしさを出していくようにしています。

── ジャズの演奏には”即興”というものがついてくると思います。即興というのは、どのように表現されますか?自分自身のパターンみたいなものがあったりするのでしょうか。

例えば、クラシックピアノは弾く内容が予め決まっているという点で漫才に近いとすると、ジャズはフリートークの漫談のようなものかもしれません。でも、ずっと勝手に話していればいいのではなく、テーマに則うとか、コード進行、何分以内といった、ちょっとしたルールの中で自由にやっていい。グループ内での方向性を無視して演奏すると、単なる自己満足になります。
名盤と言われる録音を聴いて、ジャズ特有のボキャブラリー、ほかのジャズミュージシャンとの共通言語を勉強することが大切だと思います。フレーズのどこでリズムのアクセントを付けるとか、どういうところでスペースをとるかなど学ぶ必要があります。息継ぎもなくずっと演奏されては聴いている方もしんどいし、(音楽の)コミュニケーションが成立しません。
グループで演奏する場合、誰かの演奏に反応し、空いたスペースにほかの楽器が良い間合いで応えて、掛け合いが成立します。ほかの人が、アイディアを膨らませていくこともできます。自分の世界だけに浸ってほかの人の音を聴かないで演奏していては、意味がありません。そういう例も、名盤から学ぶことができます。楽譜に書かれていない暗黙の了解を身に付けることがとても大切だと思います。

── 先人たちの表現の方法を自分なりに解釈して身に付けていくということが大切だということですね。

そうですね。人種や国籍に関係なく、赤ちゃんが日本で生まれ育ったら日本語が上手になり、アメリカで生まれ育つと英語が上手になるのと同じで、ジャズという言語を学ぶのだと思います。

── 非常に奥が深くて難しい世界ですね。

私は長くクラシックをやった後でかなり遅くにジャズを始めたので、はじめはすごく怖かったです。どうやったらできるのか、何が重要で何から練習し始めたらよいか、さっぱりわからなった。アメリカのミュージシャン達は、子供の頃に教会へ行ってゴスペル音楽に馴染んでいたりホームパーティでR&Bの曲を聴いて踊ったりしている。ジャズはグルーヴ音楽だから、そういった影響もあるのだろうと思いました。

二度目はジャズで留学へ。
そして、ニューヨークで活動。



── 留学を終えた後は、どういう活動をされましたか?

一度、日本に帰国しました。20年くらい前です。その時は日本に住むつもりでいましたが、やっぱりニューヨークに行きたい気持ちもありました。そこから10年間は関西で活動していました。その時に知り合ったのがトランペットの嶋本高之さんや黒田卓也さん、広瀬未来さんです。黒田くんが大学生、広瀬くんは高校生でした。私が日本でジャズを始めた頃と広瀬くんがジャズクラブに出始めた時期が一緒で、私のバンドに入ってもらって一緒にオリジナル曲をライブで演奏していました。去年名古屋でライブをした時も、広瀬くんにお願いして出演してもらったんです。

── 10年間は関西を中心に活動されていたわけですね。

そうです。その頃から音楽で生活できるかなと思い始めました。当時、お昼は製薬会社で通訳の仕事をしていました。二足の草鞋ですね。16:30には帰らせてもらう条件で、平日の夜と週末はジャズの練習や仕事をしていました。今はなくなりましたが、神戸のサテンドールさんには週に1回くらいお世話になりました。ビッグアップルさんや西宮にあったコーナーポケットさんでも定期的にライブをし、萬屋宗兵衛さんやレフトアローンさんでは黒田くんにバンドに誘ってもらって一緒に演奏したことがあります。日曜日は北野クラブやオリエンタルホテルへ結婚式の仕事によく行っていました。ライブが終わったあと、深夜に湾岸線で神戸の夜景を見ながら次に演奏したいスタイルのジャズを聴きながら運転して帰っていたことがなつかしいです。帰国して10年経って、NYで一番学費が安いニューヨーク市立のクイーンズカレッジという大学院を受けました。大学院は1年半で卒業できて費用が抑えられることもあり、NYに行く決意をしました。

── 二回目の留学はジャズで行かれたんですか?

はい。関西で10年バンドをやったので我流ですが知識もありましたし、カリフォルニアにいた時にケイ赤城さんやブラッド・メルドーさんからレッスンを受けたこともありました。学校でジャズの基礎を学べるかと思ったのですが、大学院なのでバークリー音楽院やニュースクールなど4年制大学を卒業したばかりの生徒も多く、基礎はすでに出来ている前提で、15人編成のビッグバンドのアレンジや対位法など、短期間で濃い内容の授業が多い良いプログラムでした。楽譜はFinale(フィナーレ)というソフトウェアを使った作成が必修でした。最初聞いたときは”誰がやるんだろ“と思っていました(笑)。今もとても役立っています。グラミー賞を受賞したトランペット奏者・アレンジャーのMichael Philip Mossman(マイク・モスマン)のアレンジのクラスが特に素晴らしく、教え方もすごく上手でした。教授陣は学校・演奏・アレンジや後進育成の仕事をバランスよくやっている一線のミュージシャン達で、学校を出たら将来あんな風に仕事をしたい、というお手本になりました。

── 1年半の学校生活を終えたら、ニューヨークで活動しようと思われていたのですか?

いいえ。大学院を卒業したら、記念にCDを制作して帰国する予定でした。良いCDにするために一生懸命練習しましたよ。最初のCDは、カリフォルニアで知り合ったダントンとウィリーと一緒に制作し、クイーンズカレッジの教授で素晴らしいアルトサックスプレイヤーのAntonio Hart(アントニオ・ハート)にゲスト参加してもらいました。いいニューヨーク土産が出来て、これで思い残すことなく日本に帰れると思っていました。でもレコーディングがあまりに楽しくて!あっという間に終わったんです。ベテランと演奏するとこんな風になるんだ、と思いました。アントニオとは学校で何度も演奏したのに、ウィリーとダントンのリズムセクションと一緒に演奏すると魔法にかかったような感じでした。できればもう少しこういう人達と演奏したい、と思ったんです。それで、もうちょっと長くいてもいいかな、と思って、今に至ります。

── 現在、ニューヨークではジャズピアニストとして活動されているのですか?

色々です。ベテランを入れて私のオリジナル曲を演奏するバンドを定期的にしながら、学校での伴奏の仕事や教会も行っています。ブルックリンにある黒人教会で2年間レギュラーを務めました。今は日曜日はいろんな教会へ仕事に行っています。

── 讃美歌を演奏するんですか?

黒人教会では、一応讃美歌の本はあるんですけど楽譜通りには行かず、その時の感情に従って雰囲気で歌が始まります。誰かが自分の好きなキーで、好きなテンポで歌いはじめるのです。今週はこの4曲はやると決めたコンテンポラリーな曲は、YouTubeで予め音源を送ってもらってその曲を丸暗記しておいて当日に調節して弾く、といった感じでした。

── ジャズですね?

そうなんです!ジャズはゴスペル音楽の影響が大きいという意味が、教会の仕事をするようになってやっと心から解るようになりました。日本にいたときは、黒人文化や歴史からジャズを理解することはなかったです。

── ちなみに2枚目のアルバムはどういう意図で制作されたのですか?

1枚目の「Beyond Intersection」を制作した時はニューヨークに来て2年目で、関西でやっていた時の曲を録音したんです。お土産のつもりで自分の集大成という位置づけでした。そこから6年経って、ニューヨークでの仕事・生活経験を通して、以前とは違う考え方や感じ方をする自分をまとめてみたいと思いました。

── 今回の楽曲は全てオリジナルですか?

2曲以外は全て私のオリジナル曲です。ブラジル音楽のDon Quixote(ドン・キホーテ)とTadd Dameron(タッド・ダメロン)作曲のIf You Could See Me Nowという美しいバラード。どちらも大好きな曲です。

── 作曲とアルバム制作について教えてください。

最新作「Wish Board」は、レコーディング日程を決めてから、このメンバーだとこんな音楽になるだろうというサウンドをイメージして1か月半の間にタイトル曲を含めて4曲書きました。ドラムは前回と同じウィリー・ジョーンズ、ベースは若手のCorcoran Holt(ココラン・ホルト)で、3人共ブルックリンに住んでいて家も近く、スタジオはちょうど中間地点にあります。レコーディング前日に1度だけかるく1時間程度、私のアパートでリハーサルをしました。

── 日本とニューヨークだとお客さんも違うと思うのですが、どちらがやりやすいですか?

雰囲気が違いますが、ニューヨークに慣れてしまいました。去年東京で演奏した時とても静かだったので盛り上がっていないと思ったのですが、日本のお客さんは真剣に聴いているんだよ、と教えられました。

── 今後やってみたいことはありますか?

そろそろ、若い世代へ自分の経験をシェアしていきたいですね。プロも社会人も学生も、音楽は楽しく続けていくことが大切だと思います。関西で演奏している若い人には、そこの世界が全てだと思っている人もいると思う。私が海外で経験したことを伝えていければいいなと思っています。

information

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[ リリース ]

2016/8/20 Wish Board/たなかかつこ
1.BLOSSOM IN QUEENS
2.WITH EYES OF TRUTH
3.A DREAM
4.WISH BOARD
5.ATLAS
6.IF YOU COULD SEE ME NOW (Tadd Dameron)
7.DON QUIXOTE (Milton Nascimento/Cesar Camargo Mariano)
8.FIFTH FACE
9.HAVE PEACE IN YOUR HEART
Tower Record
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