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ジャズピープル

"勝負を恐れるな"

2016年には「なにわジャズ大賞」プロの部を受賞、2017年には待望の初リーダーアルバム「LIVE」をリリース、そのアルバムがジャズ批評の「ベストオーディオ部門」「アルバムジャケット部門」入賞など高評価を得て、さらに注目を浴びるサックス奏者の河村英樹さん。ご自身のジャズとの出会い、ニューヨーク、東京での経験、そして現在の活動に至るまで率直にお話いただきました。

インタビュー・文 小島良太(ジャズライター/ジャズフリーペーパーVOYAGE編集長)

person

河村英樹

1969年神戸市出身。12歳よりアルトサックスを吹き始める。サックスを赤松二郎、飯守伸二の両氏に師事。1992年大阪音楽大学器楽学科卒業。在学中よりナニワエクスプレスのベーシスト、清水興率いるバンドHUMAN SOULに参加しプロデビューする。その他大学の同期、中村真(p)植田典子(b)らと共にジャズの演奏活動を始める。HUMAN SOUL解散後は古谷充(as)、宮本直介(b)、唐口一之(tp)、近秀樹(p)、高橋俊男(p)、中島教秀(b)、増原巖(b)等のバンドに参加する。97年にはNYに渡り、サックス奏者のロン・ブレイクに師事し多大な影響を受ける。2000年に上京。向井滋春(tb)、塩田のりひで(b)、福村博(tb)、大坂昌彦(ds)、増原巖(b)What's Up、井上陽介(b)、角田健一(tb)BIG BAND、砂田知宏(p)BIG BAND、等様々なバンドにて活躍する。2013年秋より再び拠点を関西に移す。
2014年、アメリカのSAN JOSE JAZZ FESTIVALに橋本有津子(org)カルテットの一員で参加し、好評を得る。近年来日したルイス・ナッシュ(ds)アキラ・タナ(ds)ウィル・ブレイド(org)等と共演するなど幅広い活躍をみせている。2016年なにわ芸術祭なにわジャズ大賞受賞。2017年に初リーダー作「LIVE」を発表。
現在は池田芳夫(b)DADA、高瀬龍一(tp)セクステット、大塚善章(p)クインテット、そして自己のカルテット等にて活躍中。大阪音楽大学ジャズ科講師も勤めている。

interview

ジャズとの出会い

── ジャズとの出会いは?

河村「兄(トランペット奏者の河村直樹さん)が聴いていたし、演奏していたからかな。」

── そもそもなぜサックスを始められたのですか?

河村「兄と違う楽器がしたかったのと、ジャズが目立つ楽器といえばトランペットとサックスだったから。兄の高校時代のビッグバンド(滝川高校)を聴きに行った時、サックスセクションが前に並んでいたのも印象的で。兄に何の楽器しようか聞いたら、サックスを勧められたんです。最初はアルトサックスでした。子供の頃はとにかく兄の影響というのが大きくて。今は全然ですけど(笑)。小学校6年の時にそれを聴いて、野球部に入ろうか吹奏学部に入ろうか迷った結果、吹奏学部に入ったんです。最初にときめいたジャズの曲っていうのは兄の高校のビッグバンドで演奏していたチャック・マンジョーネの“Feel So Good”かな。とても格好良い曲だなぁと小学生の心に刺さったんですよ。また当時、渡辺貞夫さんがCMによく登場していて格好良かったし、家にレコードもあったしね。オレンジエクスプレスとか聴きながら寝ていました。めちゃくちゃ影響を受けてますね。」

── アルトからテナーに転向するキッカケは?

河村「中学時代からテナー憧れていたのですが(笑)。兄が大阪音楽大学のジャズオーケストラに入り、その第1回定期演奏会を聴きに行きました。その時に聴いた、後に私も師事する事になる赤松二郎さんのテナーサックスの演奏に影響を大いに受けて。そこで進路を決め、私も大阪音楽大学に入学し、念願のテナーサックスを手にしました。学生時代はアルトサックスでの練習も引き続き行い、またクラシックとジャズ両方練習していました。」

── プロとしての演奏活動は大学時代からですか?

河村「学生時代はまだバブルの絶頂期で色々な仕事が舞い込んできました。面白かったのはダウンタウンの二丁目劇場の番組で“二丁目マンボ隊”での番組でのオープニングでの演奏とか。一回だったけど(笑)。キャバレーの仕事も当時はまだまだありました。ミナミの「サン」とか、ロイヤルホースの隣にあった「ワールド」や三宮の月世界、尼崎のキャバレーにも出演しました。当時の景気もあって、アルバイトらしいアルバイトはする事が無かったですね。 2学年下の中村真さん(東京で活躍中のピアニスト)、植田典子さん(ベーシスト、現在はニューヨークで活動中)や1学年上の出口誠さん(東京で活躍中のピアニスト)とよく活動してましたね。当時はひたすら神戸のビッグアップルでのライブと大阪のドンショップでのセッションで演奏しました。この二つのお店はめちゃめちゃお世話になりましたね。」

河村「正確にプロ活動を始めたのは清水興さんのHUMAN SOULでした。4年生の時の大晦日、京都のRAGでのライブです。忘れもしません、あの日は。超満員、立ち見でも人が入れないほどでした。先輩がホーンセクションに二人いらっしゃって、その先輩に引っ張ってもらって参加する事に。プロとしてのレコーディングもHUMAN SOULが最初です。ツアーも沖縄以外は全国回りましたね。メジャーレーベルだけに待遇もめちゃくちゃ良かったし、打ち上げでは朝まで飲んでというのも日常茶飯事。あと給料制でしたし。当時、22、3歳の若造が音楽で給料をもらえるなんて…ちょっと勘違いしちゃいましたね(笑)。96年の解散まで在籍しましたが、その活動がプロとして大いに勉強になりました。」

ニューヨークでの3ヶ月、そして東京へ

── ニューヨークに行かれたのはどういう経緯ですか?

河村「97年、ロイ・ハーグローヴのバンドで活躍していたロン・ブレイクのレッスンを受けにニューヨークへ。レッスンはもちろん、ハーグローヴのライブのリハーサルも聴かせてもらう機会やヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ鑑賞は今でも鮮烈に覚えていますし、貴重な経験でした。関西の人は東京に行かずにニューヨークへ行く傾向が多いと思うけど、いい事だと思います。とにかく絶対プラスになるから。ニューヨークから帰ってきて、3年ほど関西で活動していましたが、「このままではあかん!」と思って。年頃なのか30歳前後って何か動きたくなるんでしょうね。あと関西がダメなように写ってしまうというか。それもあって思い切って2000年に東京へ行きました。当時から活躍されていた多田誠司さんや山田穣さん(共にアルトサックス奏者)を聴いたら、めちゃくちゃ上手いからね。これはやっぱり、そこ(=東京)に行って戦わないとあかんなぁと。東京で活躍しているミュージシャンは“日本を背負っている”というか何か違うものが必ずあるんですよね。それにプロミュージシャンとしてやる限りは有名になりたいし、日の目を見たいしね。大阪でずっと活動しているとそうはいかないから。やっぱりメディアの中心だからね、東京は。関西でグダグダ文句を言っている人に言いたい、「くやしかったら東京で勝負しろ」と。挑戦せずにガタガタ文句を抜かすヤツは大嫌い!勝負してそれでダメでも帰ってきたらいいんだし。だから僕は今教えている、大阪音大など自分の弟子に東京やニューヨークに行く事を勧めています。東京での活動は自分にとってもそれだけ大きな物でした。 共演する方から「それができないと、仕事できないんだよね」とか厳しい事も言われたけど、すごく良いアドバイスだったと思います。とてもお世話になったのは向井滋春さん、福村博さんや中路英明さん、角田健一さんなどトロンボーン奏者の方によくかわいがられた傾向があるかな。あとベーシストの池田芳夫さんや増原巌さんとか。自分のバンドとしては今ニューヨークで大活躍中のピアニスト、海野雅威君とベースの工藤精君、ドラムの原大力さんとのカルテット。自分で言うのもなんだけど、素晴らしいバンドでした。」

2013年に関西へ帰還

── 関西へ帰るキッカケは?

河村「東京での生活も色々あったし笑、また原点に戻りたいなぁというのもあって、関西に帰ってきました。あとのんびりして楽しそうに演奏しているのがいいなぁと思って。当時精神的にしんどい時期があって、橋本有津子さんや東敏之さんが「帰ってきて一緒にまたやろう」と声かけてくれて。それで帰る決心をしました。東京では皆自分の事に必死で、ピリピリしている部分もあるからね。気にかけてくれた方はもちろんいますけどね。今でも池田芳夫さんの「DADA」などで声をかけていただいて縁も続いているし。あと増原巌さんのバンド「What’s Up」は僕の中で大きいバンドだったなぁ。」

待望のアルバムリリース

── 2017年にリリースした「LIVE」が大変好評ですね。

河村「12歳の頃からずっと思い描いていた自分のアルバムをやっと、遅すぎるやろ!と思うくらい笑、ついに出せました。過去にも海野君とのカルテットをしていた時代にも話があったのですが、タイミングが合わなくて。ピアノトリオとの共演など思い描く形は色々ありましたが、今回の作品では信頼するオルガ二ストの橋本有津子さん、ギターの橋本裕さん、そしてアメリカで活躍するドラマーのアキラ・タナさんとライブレコーディングしました。この面々との演奏する時の充実感は一体何だろう、これは音に残しておかないといけないと思って。アキラさんとは橋本有津子さんのバンドで出演したサンノゼのジャズフェスで出演していたアキラさんと意気投合して共演する機会が生まれて。本当にご縁に感謝ですね。」

── リリース後の変化は?

河村「収録曲がまるで演奏出来なくなりました(笑)。聴きすぎて自分の手グセが気になって、全部わかってしまうし、それが出るたびにウンザリするんですよ。だからほとんどライブで演奏していません。リーダーレコーディングの難しさ、また責任感を改めて感じましたね。でも本当にレコーディングに関わった方々、ファンの皆様にはとてもお世話になりました。」

── 今後の活動について教えてください。

関西のジャズを引っ張っていく存在、と言うのを期待しているかもしれないけど、まったくそんな事を思ってなくて(笑)。のんびり、というか自分のペースで演奏していきたいですね。ただ、活きの良い若者の成長は嬉しいし、頼もしいですね。一緒に演奏もしたい。今、僕が注目しているのはドラムの今岡(稜太)君。渋いドラムを叩くし、ちゃんと音楽を聴いているし。教え子の曽我部(泰紀さん)がだんだん仕事を取ってきているのも嬉しいな。アルバムについては今回と違う編成での作品も発表していきたいと思っています。

インタビューを終えて
河村さんのこれまでの経験、そしてジャズに対する想いは、これからジャズを志す人にとっては本当に刺激的で貴重なエピソードが多くありました。様々な人生経験、音楽経験がサウンドに自ずと表われて、聴き手の心に深い感動を呼び起こしているのではないか、とも思いました。関西のジャズを引っ張る気はさらさらない、とおっしゃっていましたが、ジャズファンはきっと関西に河村さんがいてくれる事が何より嬉しいのではないでしょうか。またライブに遊びに行きますね!

information

[ Live Information ]

河村英樹ライブ情報
4/24(tue) 心斎橋 ラグタイム大阪
¥3,000
http://www.rugtime-osaka.com/

4/25(wed) 京都三条 ルクラブ ジャズ
¥3,500(ワンドリンク付)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ktsin/

4/27(fri) 神戸北野 オールディーズ
¥3,000
http://l--l.jp/sclist/in.cgi?cd=sc2498&dt=201804



[ Release ]

河村英樹「LIVE」
内容紹介
テナーの正統を受け継ぐ男、河村英樹待望のリーダーアルバム。
最も信頼を置くオルガン橋本有津子、ギター橋本裕、そしてスペシャルゲストにアキラ・タナを迎えたトリオをバックにブローする熱きライブ録音。 河村英樹の最大の魅力はテナーの音色であり、旋律を歌い上げるメロディセンスである。この点において異論を挟む者はいないだろう。その男性的な音色で歌い上げるメロディセンスを最大限に堪能できるのがバラードとブルースであり、それは河村英樹の絶対的ストロングポイントである。そう、河村英樹はバラードとブルースの名手である。彼のカルテットメンバーは関西で最も信頼を置き、レギュラー共演している日本を代表するオルガン奏者の橋本有津子。スインギーなソロとオルガンとのコンビネーションでは右に出るものはいないギターの橋本裕。そしてスペシャルゲストとしてルーファス・リードとの双頭バンド“タナリード"などでアメリカの第一線で長きに渡り活躍する名手アキラ・タナが参加。このアルバムにはライブ当日の熱気と興奮、キャリアを重ね円熟味を増した男気溢れるプレイがそのまま収録されている。(ライナーノーツ:星野利彦)

(収録曲)
1.Speak Low
2.Body and Soul
3.You Don’t Know What Love is
4.Blues For Yuuki
5.Cherokee

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