今回は、ドルフィーの音楽が現在のジャズシーンにどういう影響を与えているのかについて考えたい。ドルフィーの活動期間は非常に短かったが、その間に残した多くの革命的かつ刺激的な音源の数々は人々を触発し、大きな影響を与えたはずだ。なにしろ、あの音、あのフレーズ、あの楽器である。コルトレーン同様、みんな争ってドルフィーをコピーしたにちがいない! しかし……今のジャズ界を見渡しても、ドルフィーに影響を受けた、とか、露骨にドルフィーに似ている、とか、ドルフィー派としてひとくくりにできる、とかいったミュージシャンはほとんどいない。コルトレーンなら、その影響範囲はライバルと目されていたロリンズをはじめ、かつてのハードバッパーにまでおよび、主流派テナーやフリー系テナーのほとんどにがっつり影響を与えたうえ、フュージョンやR&Bを演るテナー奏者もそのフレージングのもとはコルトレーンである場合が多いと思う。それに比べて、ドルフィーはどうだろう。どこを見渡しても、あんな風なコケコココケキキ……と跳躍する変態フレーズをでかい音で一心不乱に吹きまくるようなアルト吹きは(ほぼ)いない。有線などでたまにそういった演奏を耳にすると、たいがいドルフィー本人である。つまり、ドルフィーはコルトレーンのように次の世代への影響を与えていない、と考えられる。ルイ・アームストロングが出現したとき、トランペット奏者はこぞって彼の真似をしたし、パーカーが現れたとき、アルト吹きのみならずほとんどの楽器奏者がバードのフレーズをコピーした。彼らの演奏は時を超えていまだにエピゴーネンやら後継者やら模倣者やら追随者やら亜流やらを生み出した。コールマン・ホーキンスしかり、イリノイ・ジャケーしかり、レスター・ヤングしかり、ベニー・グッドマンしかりである。その意味ではオーネット・コールマンも多くの後継者を生み出したと思われる。彼の場合は、フレーズがどうのこうのというより、ジャズの即興に対する意識、みたいなレベルでの影響である。初期の作品、ゴールデン・サークルのトリオ、プライムタイムの作品など、その時代その時代において、不思議な浮遊感のあるフレーズを、一瞬の瞬発力をもって吹きすぎていく……そんな感じのインプロヴィゼイションと、そのための枠組みは、多くの追随者を生んだと思う。しかし、ドルフィーの場合はなんといっても、あの変態フレーズを吹かないと、影響を受けているとは言いにくい。サックスを少しでも演ったことのあるひとならすぐわかると思うが、ドルフィーのフレージングは、でたらめなんてとんでもない話で、指をめちゃめちゃに動かしただけでは、とうていあんな風には吹けない。ああいったフレーズを吹きたい、という強い気持ちとそれにともなう膨大な量の練習があってこそのドルフィー節なのである。同時代的にはケン・マッキンタイアーをはじめ数人のフォロワーがいたが、ドルフィーの域にまで達したものは皆無であり、近年では、ブッカー・リトルとのファイヴ・スポットのライヴを再現しようという試みがドナルド・ハリソンとテレンス・ブランチャードによって行われたが、ちょっと聴きとおすのがつらくなるような出来で、とくにドナルド・ハリソンはインタビューで「自分はドルフィーの音楽はよくわかっていない」という意味のことを発言しており、だれやこんな人選したやつは、と悲しくなる。ごく最近では、シカゴのケン・ヴァンダーマークをゲストに迎えた「C.O.D.E」というアルバムが全編オーネットとドルフィーの曲を演奏するプロジェクトだったのをはじめ、CHRIS BISCOE QUARTETの「GONE IN THE AIR」(ドルフィーの言葉をタイトルにしている)というアルバムは全曲ドルフィーおよびその関連の曲で占めた意欲作だった。しかし……そういった意欲的なドルフィー・トリビュート作を聴いて、いつも感じるのは、たしかに表面的にはドルフィーの音楽を再現しているとは思う。だが……あの「切迫感」がないのだ。ドルフィーの演奏にはいつも、異常なほどの切迫感がある。「音楽は一度空中に放たれたら二度と取り戻せない」という発言もその一環だが、とにかく「一期一会」というような言葉ではとうてい言い表せない、「もう、この演奏のあと、私は死にます。みなさん、さようなら」と言っているような危機感というか焦燥感というか、そういう強い意識が感じられるのだ。この感覚こそが、ドルフィーとそのフォロワーとの決定的な差異ではないだろうか。そういった意識のない、表面的な真似は、ドルフィーの音楽と最も遠いところにあるのではないか。