ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
エリック・ドルフィー

ジャズ、とくにフリージャズについて、難解で敷居の高い音楽とか、政治的・宗教的な背景があるシリアスな音楽とか、でたらめでぎゃーぎゃーいってるだけの音楽とか、いまだにそういう印象をもっているかたが多いようだが、そんなことはありませんよ、フリージャズというのは根源的で非常に楽しい極楽の音楽ですよ、ということを私はくり返してきたつもりである。げらげら笑いながら、すげーっ、と叫べばよい。ただ、それだけだ。難解でもないし、極端にシリアスでもない。ほかのジャズと、いや、ほかのどんな音楽とも同じ、楽しく聴けるし、踊れるものだってある。フリージャズは楽しいですよ……と書いたところで、さて、ついにドルフィーの登場である。「ついに」というのは、ドルフィーの音楽は、単純に「うわー、めっちゃ楽しいやん」とは言いにくいからである。

そう、ドルフィーについてなにかを書くというのは、つねにむずかしさがつきまとう。過去何度か試みたが十分意を尽くせたとはいいがたい。今回もおそらく、言いたいことの半分も言えないだろうとわかったうえで、またぞろドルフィーについて語ることにしよう。ジャズ史に残る怪物、という意味では、ドルフィーはまさにその称号にふさわしいモンスターである。外観は、額がコブのように盛り上がり、まつげの長い、ハンサムでノーブルな黒人だが、ひとたびアルトサックスを吹くと、凄まじい演奏をする。その演奏は……このあたりでいつも悩んでしまう。あのドルフィーの壮絶なサックスソロをなんと表現したらいいのか。跳躍の激しい、「コケキカ・キキコケ・コッケコッケ・キキカケ……」とでも書いたらつたわるだろうか、要するに通常では考えられないような音のつながりによるフレージングが、でたらめではなく、逆に非常に整然とずらりと並ぶ。世間的には、これはいわゆる「歌心」とは真逆の、わざと不協和音的なサウンドを狙っての演奏と考えられているようだし、それはある意味正しいが、果たして単純に「あれはフリージャズ的な不協和音だよ」と言い切っていいのか。

いつもドルフィーのソロから感じるのは、とんでもない量のエネルギーである。それについてくわしく説明したい。

 まず音が凄い。あんな音のアルトは滅多にいない。ジョニー・ホッジスやベニー・カーター的な豊饒なスウィングアルトの音、パーカーやスティット、フィル・ウッズといったバップアルトの音、アール・ボスティックやルイ・ジョーダン的な濁った音、現代的なサンボーンやキャンディ・ダルファーのような鋭くファンキーな音……いずれとも異なる。めちゃめちゃ硬質で、サックスの音の「芯」だけをそのまま大きくしたような、ぎゅーっと中身の詰まった音である。音にゆとりがないというか、遊びの部分がなく、聴いていると切迫感がある。ホッジスやパーカー、サンボーンなどの音を聴いていると、うっとりと身を任せたくなるような心地よさがあるが、ドルフィーの音は愚直なまでにシリアスで、そして、でかい。坂田明さんの音が近いように思えた時期もあったが、やはりちがう。とにかく、音をちょっと聴くだけで、あ、ドルフィーだとわかる個性的な音である。フリージャズのアルト奏者のなかには、やってることはたしかに難解で、時代の先端を行くような立派な演奏かもしれないが、音そのものが貧弱で、フリーキーにブロウしても、その音が爪楊枝のようにこちらをちくちく刺すだけ、というひとがけっこういる。しかし、ドルフィーの音は太い槍のように我々の心臓を貫く。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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