ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
ファラオ・サンダース

ファラオですか? いやー、ファラオは凄いよ。凄いとしか言いようがない。そもそもテナーサックスというものは、おとなしく、こちょこちょっと吹くようにはできていない。どんなおとなしい性格の奏者でも、吹いているうちにだんだんエキサイトしてきて、しまいには楽器を構えて獅子吼……ということになる、まあ「暴れ牛」のような楽器なのである。こんなことを書くと、ブラバンやクラシックのサックス吹きの方から異論が百も二百も来ることはわかっているが、その昔アルトを吹いていた私が、ある日たまたまテナーを手にして、ちょっと吹いてみた瞬間に、「うわあ、これは……暴れ牛やわ」と悟ったほどであるから、おそらくテナーサックスという楽器のどこか深いところに、これはそんなに上品に吹く楽器じゃないよ、さあ、息をもっと入れろ、音を濁らせろ、ブロウしろ、行け行け行けっ、そこだ、スクリームしろっ! という風に、吹くひとの意識を原始時代に引き戻してしまうような、なにか「邪神」的なものが宿っているのだと思う。だが、そういうことをよくわかっているつもりの私でも、ファラオ・サンダースだけは、なんぼなんでもやりすぎちゃう? と思ってしまうぐらい、このおっさんはテナーサックスから非クラシック的、非音楽的、非日常的な音を引きずり出すことに命を賭けている。ドルフィーのアルトが、グロテスクなもののなかの美だとすると、ファラオのテナーは、もっとえげつなく下品で、ゴミ箱を地面にまき散らしたようなグロさである。シェップやガトー・バリビエリ、アイラーたちが束になってかかってもかなわないほどの、徹底した絶叫である。アヴァンギャルドとかフリーとか、そういうレベルではない。ただの悲鳴、絶叫、嘔吐、ノイズである。

ここまで読んで、誰がそんなやつ聴くねん、とたいがいのひとはそっぽを向いていると思うが、なかに数人、(なんかおもろそうやなあ……)というひとがひっかかっているはずだ。──そうなのだ、そういうひとだけが、ファラオファンになる資格があるのだ。

昨年だったか、ファラオ・サンダースのDVDが出た。しかも、あの名盤「ライヴ!」と同じときの映像だという。さっそくアマゾンで注文したが、それが届くよりも先にタワーレコードで見つけたので、買ってしまった。つまり、二重買いである。それほどファラオのDVDが観たかったのである。で、内容はどうだったかというと、いやー、ええもん見せてもらいましたわー。およそテナーサックスという楽器に関心のある向きは、絶対に見逃してはならない。「ライヴ!」の一曲目で我々の度肝を抜いた、あの「ユーヴ・ガット・トゥ・ハヴ・フリーダム」こそ入っていないが、金切り声のような咆哮をあげつつ、延々と吹きまくるファラオの最上の演奏が目の当たりにできる。しかも、吹いている途中で涎をだらだらと垂らす。並の量ではない。涎はネックをつたって、だらーっと床に落ちる。よく「汗を流して吹きまくる」というが、「涎を垂らして吹きまくる」のである。また、ジョン・ヒックスの神懸かりのようなピアノソロもすばらしく、見終わったときには目が点になって、ひくひく痙攣すること必至の演奏である。フリージャズだとかスピリチュアルジャズだとかいった先入観を捨てて、無心に見れば、極上のモダンジャズであることは疑いない。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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