ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
ラサーン・ローランド・カーク

カークの凄いところは、まだまだまだある。フルートを吹きながら同時に歌を歌う。フルートを吹きながら、同時に、鼻で別の横笛を吹き、ハモる。見ていると、鼻汁とか涎が入りまじっているようで、とてもじゃないがBGMとして聞き流せるようなものではない。今時の洗練された音楽の対極にあるえげつないまでの「生々しさ」がそこにある。

彼は、盲目なので、楽器を全部、自分の手の届くところに置いておく必要があるため、舞台に登場するときは、三本のサックスを首からぶらさげ、ガムテープでぐるぐる巻きにしたホイッスルや横笛、縦笛、パーカッションの類、サイレン、オルゴール、クラリネットなどを身体から垂らしている。まるで、蜘蛛である。そして、共演者に手をひかれて弱々しく舞台中央に進みで、マイクの位置を確認すると、やおら、ガバッと三本のサックスをくわえて凄まじい即興演奏を開始する。息継ぎなしで、即興的なハーモニーを自分一人で作りだし、笛を吹き、フルートを吹き、銅鑼をめったやたらと叩き鳴らし、歌を歌い、叫び、手を叩き、がはははと笑い……。とにかく、異常としか思えない集中力である。複数のサックスを同時に吹くなどという異常なことを考えだし、それを実行し、複雑なメロディーを即興で、しかも和声をつけて演奏するということは、信じられないほどの集中力が必要とされるはずだ。また、循環呼吸というのは、一度やってみるとわかるが、息が苦しくなって、だんだん脳酸素が欠乏してくるような感じになる。それをのべつまくなしにやっているのである。この、驚異的な集中力は、彼が盲目であることと密接な関係がある、といっては言い過ぎだろうか。全ては、カークの脳裏にある、閉じた世界における音楽なのである。彼は、とにかくそこに鳴り響いている音楽を、より素晴らしく、よりもの凄くすることにしか興味がないのである。

人間業ではない、このような演奏を行っていたカークは、当然のように脳溢血でぶっ倒れてしまう。しかし、彼は少しの療養期間をへて、すぐにカムバックする。たしか、右半身不随か何かになっていたはずで、とても管楽器の演奏などできないと思われるのに、カークはそんなことを意に介さなかった。その後も、積極的な演奏活動を行って、とうとう死去したが、残された音源やビデオを視聴すると、「こんなことしとったら、そら死ぬわなあ……」と皆が納得するような内容なのである。安らかなれ、グロテスクジャズの魔人よ。

ローランド・カークの音楽は、無数の楽器を身体中からぶら下げた彼の外観と同じく、一種の「ごった煮」である。根源にあるのは、ブルース、それも「どブルース」というやつだ。しかし、エリントンやベイシーといったスイングジャズの要素もあるし、ビバップのフレーズも基礎にあるし、コルトレーン以降の最先端のモダンジャズにも柔軟に対応している。フリージャズの影響か、絶叫的なブロウをさせれば誰にも負けない。世界中のいろいろなリズムやモードもちりばめられている。R&Bなどの黒人ダンス音楽の要素もベースにある。民族音楽や童謡の旋律も聞こえてくる。とにかく「何でもあり」の、「一人音楽百科事典」みたいなおっさんなのである。そしてそしてそして、カークの音楽は何より「めちゃめちゃ楽しい」のだ。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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