ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
「緊急災害時にいかに対処するべきか」

ビッグバンドを長くやっていると、演奏中にときおり、思いがけない突発的な災難というか危機というか、そういうものにみまわれることがある。クインテットとかカルテットぐらいの小編成のグループならば、なにがあろうと柔軟に対応できるのだが、ビッグバンドは二十人近い人数が譜面に頼って演奏しているので、急なアクシデントには応じきれない。五、六人が咄嗟に対処したとしても、あとの十五人がおろおろうろたえているだけでは、結局同じことである。全員がすばやく的確に緊急災害をのりきれねばならないのだ。以下に、そういった場合もあわてず騒がずなんとかするためのノウハウを列記したので参考にしていただきたい。

 

1.演奏中に譜面が飛んだ場合

野外での演奏会のときなど、突風が吹いて、譜面台から譜面が飛び去ってしまうことがよくある。床に落ちたぐらいなら拾えばすむが、舞台の端まで飛んでいってしまったらどうするか。それぐらいのことで演奏を中断するわけにはいかない。といって、あたふたと舞台を横切って拾いにいくのも不細工だ。また、舞台上に落ちればまだましで、何メートルもある舞台から下へ落ちてしまったらどうするか。もちろん答はひとつ。「吹いているふりをする」……これしかない。いかにも「完璧に暗譜しています」といった顔つきで平然と演奏を続けよう。ただし、音は出さずに。この方法は、譜面を飛ばした人間がひとりだったときにしか使えない。五、六人が同時に譜面を飛ばした場合、いくらなんでも音が薄くなるので、そういうときはあきらめて、曲が終わるのをじっと待とう。

 

2.演奏中に停電になった場合

大きな会場で、ずらっとマイクを並べての演奏会のとき、いきなり停電……これはきつい。しかし、回復を待っていては、いつになるかわからない。こういうときの対処法は、「いつもより大きな音で吹こう」。ドラムはぐっと音を抑え、ほかのメンバーはできるだけ大きな音を出すように心がける。ピアノとベースは若干つらいが、マイクがなかった時代は、どっちも生音で弾いてたわけだから、カンサスシティのベニー・モートン楽団に思いをはせながら、力強く演奏しよう。

 

3.演奏中に虫が口に入った場合

野外でのコンサート、しかも夜、という場合によく起こるアクシデントのひとつ。足下や横合いから照明が当てられたりしていると、それに虫が寄ってきて、譜面台のうえを走りまわる。有馬温泉の河原で演奏したときは、譜面が見えなくなるほど羽虫がたかって、驚くというよりあきれた。一生懸命譜面どおり吹いていると、音符が急に動き出したりするのだ。そして、顔にも手にもばんばんぶつかってくる。息を吸うために口をあけたとき、何匹か飛び込んできて、うぎゃー、ぺっぺっと吐き出したが、もうそうなっては演奏どころではないのである。そういうときにいかに対処すべきか。もちろん「ベープを焚く」。これがもっとも科学的な対応である。しかし、ベープがなかったらどうするか。アースノーマット? いやいや、それもなかったら……そう、照明を消す。そうすれば羽虫は一瞬にしてどこかへ行ってしまう。でも暗くなるから、譜面が読めませんね。まあ、どっちにしても読めないのだから、あきらめましょう。

 

4.ソロ順をまちがえた場合

緊張のあまりかボーッとしていたのか、べつのひとのソロなのに自分が立ち上がってソロを吹きはじめてしまったらどうするか。答はひとつ、「いかにも自分のソロ順である」という顔をして堂々と最後まで吹こう。問題は、「自分のソロ順なのに、それを忘れていて、ボーッと座っていた」場合である。だーれもソロをしないのである。ベイシーナンバーなんかだと、ピアノソロの音数があまりに少なくて、ソロだかなんだかわからないような場合もあるが、普通はソリストがソロをしないと、いかにも「なんだなんだどうなったんだ」的な雰囲気になる。そういう場合にどうするか。いえいえ、全然対処する必要ありません。どんなバンドでもひとりは必ずいる「吹きたがり」のひと。彼がすっと立ちあがって、自分のソロでもないのにソロをしてくれるにちがいありません。「俺ってなんでも吹けるもんね」という顔をして。よかったよかった。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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