デイヴ・リーブマン、スティーヴ・グロスマン、マイケル・ブレッカーというユダヤ系白人テナー三羽がらすは、全員が化け物である。昔はブレッカーなど評論家から、うまいけど機械的すぎてパッションがなくてつまらない、みたいなけなされ方をしていたものだが、とんでもない話で、フラジオ、オルタネイティヴ・フィンガリング、オーバートーン、サブトーン、ハーモニクス、スケールアウト、代理コード、三拍フレーズ、ホンク……ありとあらゆるサックスのテクニックをひとつのソロに詰め込んだ彼のプレイは、まさしくクールに燃えるマグマであって、パッションの塊なのである。しかも、音はとてつもなくでかいし、ブレッカーの音を生で浴びていると、あまりの凄さにあっけにとられてゲラゲラ笑ってしまったものだ。ブレッカーがテナーを持って舞台中央に登場すると、それだけで一種異常なオーラが漂ったものであり、彼もまた怪物の素質を十分に備えていた。デイヴ・リーブマンは一時ソプラノしか吹いていなかったが、近年テナーも吹くようになり、アブストラクトな世界からリアルな表現の世界に戻ってきた感がある。最近のアルバムはどれも「どないしたんや、リーブマン!」と叫びたくなるほどの熱い、熱すぎる演奏ばかりでものすごい。リーブマンが禿頭を真っ赤に染めながらブロウするさまは鬼のようで、怖いぐらいだ。彼は音色やタンギング、ハーモニクス……などといったサックス技術へのこだわりが半端ではなく、聴いていると、それらが塊となって押し寄せてくるのでへとへとになってしまう。リーブマン曰く、私の吹くフレーズにはひとつひとつ全部意味がある……と。しかし、どう聴いてもフリージャズにしか思えないような激しい、むちゃくちゃ過激な演奏もあって、まあ奇人変人だと思います。さて、三羽がらすのなかで、もっともヤバい、怪物といえば、やはりグロスマンだなあ。十代でマイルスグループに抜擢され、エルヴィンバンドではリーブマンとの二テナーで一時代を築きあげた彼も、最近はすっかり普通のハードバッパーになってしまい、残念至極であるが、かつて彼が残した数々の超過激な演奏はどれも輝いている。バックを無視して、ひたすら自分が好きなように吹きまくる彼のプレイは、ある意味「暴走」だが、野太いトーン、ざらついたフラジオ、わけのわからないスケールアウト、過激きわまりないフレージング、ぶっきらぼうなタンギング、異常なリズム感……など、まさに個性のかたまりであって、とにかく俺が俺がと自分を前に出したがる自己中心的体質の典型だと思う。大阪の小さなライヴハウスで観たときのことをいまだに思い出すが、そのときグロスマンは風邪をひいていたらしく、めちゃめちゃ機嫌が悪く、ライヴ直前、今日はもう演奏しない、みたいなことをさんざん言い倒していた。チャージが馬鹿高かったが、店は大勢のグロスマンファンであふれていた。演奏の途中で、一番まえの席の客に、あとはおまえが吹け、と言ってテナーを渡してしまったり、ゲホゲホいいながらソロをしたあと、テナー本体からネックをはずしたら、ダラーッと痰が三十センチぐらい垂れ下がったりして、客はドン引きだった。しかも、三十分ぐらいでライヴは終了し、怒った客たちが「短すぎる」といって叫ぶと、激昂したグロスマンとにらみあいになり、そこにマネージャーらしき人物が割って入り、「今日の演奏はこれで終わります。グロスマンは、また来たいと言っております。本日はどうもありがとうございました」とむりやり幕引きをしてしまった。客はみんなぶつぶつ言いまくっていたが、私はいかにもグロスマンらしい態度が見られて、とてもうれしかったのである。ジャズはドキュメントなのだ。いやー、化け物ですな。
というわけで、駆け足で三人の奏者を紹介したが、まだまだ「ジャズに棲む怪物たち」は大勢いる。あとは皆さんの目と耳で、そういった化け物、妖怪、怪獣、怪物、怪人……を探しだしてください。では、また会う日までさようなら。