前回は、ジャズがラジオの電波に乗って全国に拡がった…というところまでお話ししましたねー。じゃあ今日は、ビッグバンドからいわゆるモダンジャズ、ビバップに移行する辺りをやりましょうね。
大恐慌というタイヘンな時代が終わりを告げ、アメリカはすこしずつ元気になってきました。『よっしゃー、今からガンガン行くで!』という気分に、ビッグバンドの華やかなスタイルはとてもよくフィットしてたんですねー。
あ、そうなんですねー。シナトラもサラ・ボーンも、ビッグバンドに在籍していたんですよ。ボーカリストだけじやなく、後々ソロとして活躍するミュージシャンも数多く在籍していたんですね。スタン・ゲッツにディジー・ガレスピー、レイ・ブラウンや、他にもたくさんのミュージシャンがいて、そこでウデを磨いたんですねー。自分のビッグバンドを率いて大成功するベニー・グッドマンもグレン・ミラーも、昔はプレイヤーとしてビッグバンドで演奏してたんです。
ところが、そうこうしているうちに第二次世界大戦がおこり、たくさんのミュージシャンも徴兵されてしまいます。グレン・ミラーは空軍に志願して、軍楽隊で活躍しました。戦地の兵士や本土に残った家族をジャズで元気づけようとしたんですね。政府も、ジャズを上手に利用したわけです。
たしかにあのにぎやかさは元気出ます。そうして、ジャズはより多くの人に聴かれ、アメリカの国民的音楽になったんですね。
でも、戦中・戦後と、アメリカはまた不景気に突入しちゃうんですねー。
ミュージシャンの数も少なくなって、ビッグバンドを維持していくのが難しくなっちゃった。これが少人数での演奏スタイルに変わっていく原因の一つでもあるんですが、もうひとつ大きな原因がありました。
ビッグバンドにとって大切だったのがアレンジャーの存在でした。優れたアレンジによって、それぞれのバンドは個性を出していたんですね。ラジオでジャズを聴いた人も、そのアレンジによって『あ、あのバンドの曲だ!』とすぐわかったんです。でも当然ながら、ミュージシャンはそのアレンジでしか演奏できない。これがミュージシャンには不満でした。
たしかに、ヒトクセもフタクセもある連中には、来る日も来る日も譜面どおりの演奏ばかりではタイクツだったはず…。お客さんの方でも、ビッグバンドに飽きちゃう人が出てきたでしょうね。
そういったミュージシャンが深夜のライブハウスに集まり、いわゆるジャムセッション的に演奏をするようになりました。これがモダンジャズのそもそもの起こりなんです!
フーッ、やっとここまできましたね!! 大衆音楽として大人気を博したスィングジャズは、人気のボーカリストをフィーチャーしたりしてよりポピュラーな方向を目指しました。ずーっと後には、R&Bなどと融合してロックンロールにもつながっていくわけですね。逆にモダンジャズは、優秀なソリストを生み出しながらより芸術的な演奏に向かったわけですねー。