クリスのワッツ・ジャズ? クリスのワッツ・ジャズ? インデックスへ
クリスのワッツ・ジャズ?
VOL3.ジャズ源平盛衰記 ~踊れるものも久しからず、ダンス音楽から芸術音楽へ~


ビッグバンドの流行と、経済・社会状況の変化によるジャズのスタイルがだんだん変化してきた点というところまできた前回の講義。さて今回は、ジャズのその後にも話は発展します。
ところで今回、生徒・砂原、ちょいと自由研究をしてきました!
ジャズをめぐる社会状況…というとむずかしくなっちゃいますが、われわれニッポンジンにはイマイチよくわかっていない(←僕だけ?)この時代のアメリカの歴史を軽くおりまぜつつ、クリス教授の講義の始まりです。

前回は、ジャズがラジオの電波に乗って全国に拡がった…というところまでお話ししましたねー。じゃあ今日は、ビッグバンドからいわゆるモダンジャズ、ビバップに移行する辺りをやりましょうね。


よろしくお願いします!

大恐慌というタイヘンな時代が終わりを告げ、アメリカはすこしずつ元気になってきました。『よっしゃー、今からガンガン行くで!』という気分に、ビッグバンドの華やかなスタイルはとてもよくフィットしてたんですねー。


-ここで生徒砂原の自由研究1-
いわゆる世界大恐慌。これは1929年に始まり、33年まで続いたそうです。きっかけは、ゼネラルモータース(GMですね)の株価が大幅に下落したこと。翻って現在をみてみると、GMは日本で言う会社更正方を適用されている状態…。まあともかく、33年のニュー・ディール政策によって、アメリカはようやく立ち直るわけです。もうひとつ、禁酒法は20年から33年まで。大恐慌としっかり重なっているわけですね。このあたりが、マフィアとか、暗黒社会とジャズが分かちがたく結びついてしまった原因があるようなんでした。

あー、そうですねー。ビッグバンドのスィングジャズというと、とーっても華やかなイメージです。フランク・シナトラのステージみたいな。

あ、そうなんですねー。シナトラもサラ・ボーンも、ビッグバンドに在籍していたんですよ。ボーカリストだけじやなく、後々ソロとして活躍するミュージシャンも数多く在籍していたんですね。スタン・ゲッツにディジー・ガレスピー、レイ・ブラウンや、他にもたくさんのミュージシャンがいて、そこでウデを磨いたんですねー。自分のビッグバンドを率いて大成功するベニー・グッドマンもグレン・ミラーも、昔はプレイヤーとしてビッグバンドで演奏してたんです。


へえー、ビッグバンドは、その中にモダンジャズの芽をはらんでいたわけですねえ。

そういうことですねー。ダンス音楽として、あるいはショーの音楽として、ジャズはどんどん発展しいていきます。
大きなダンスクラブでは複数のステージがあり、それぞれのステージで別々のバンドがバトルを繰り広げたりしていました。有名な『サヴォイ・ボールルーム』は、店が街の一区画全部を占めていたそうです!
そんな時代の大スターがベニー・グッドマン。スウィング・ジャズを大衆音楽として決定的に根付かせた彼は『スウィングの王様』なんて呼ばれたりします。彼の人気は、ラジオがジャズを全国に拡めることに大いに役だちました。

テレビもネットもない時代ですもんね。

ところが、そうこうしているうちに第二次世界大戦がおこり、たくさんのミュージシャンも徴兵されてしまいます。グレン・ミラーは空軍に志願して、軍楽隊で活躍しました。戦地の兵士や本土に残った家族をジャズで元気づけようとしたんですね。政府も、ジャズを上手に利用したわけです。


たしかにあのにぎやかさは元気出ます。そうして、ジャズはより多くの人に聴かれ、アメリカの国民的音楽になったんですね。


でも、戦中・戦後と、アメリカはまた不景気に突入しちゃうんですねー。


-ここで生徒砂原の自由研究2-
大戦中、ダンスホールの営業には重税が課せられたそうです。それとともに、ビッグバンドの海外公演や楽器開発の禁止なんていう、ジャズにとってもシンドイことになっちゃったらしいんです。

ミュージシャンの数も少なくなって、ビッグバンドを維持していくのが難しくなっちゃった。これが少人数での演奏スタイルに変わっていく原因の一つでもあるんですが、もうひとつ大きな原因がありました。


ほほう。

ビッグバンドにとって大切だったのがアレンジャーの存在でした。優れたアレンジによって、それぞれのバンドは個性を出していたんですね。ラジオでジャズを聴いた人も、そのアレンジによって『あ、あのバンドの曲だ!』とすぐわかったんです。でも当然ながら、ミュージシャンはそのアレンジでしか演奏できない。これがミュージシャンには不満でした。


たしかに、ヒトクセもフタクセもある連中には、来る日も来る日も譜面どおりの演奏ばかりではタイクツだったはず…。お客さんの方でも、ビッグバンドに飽きちゃう人が出てきたでしょうね。


そういったミュージシャンが深夜のライブハウスに集まり、いわゆるジャムセッション的に演奏をするようになりました。これがモダンジャズのそもそもの起こりなんです!


あー、ナルホド!大きなブームはどうしても飽きられちゃうところがありますよねえ。

フーッ、やっとここまできましたね!!
大衆音楽として大人気を博したスィングジャズは、人気のボーカリストをフィーチャーしたりしてよりポピュラーな方向を目指しました。ずーっと後には、R&Bなどと融合してロックンロールにもつながっていくわけですね。逆にモダンジャズは、優秀なソリストを生み出しながらより芸術的な演奏に向かったわけですねー。


なんかアレですね、絵画の歴史にもよく似ている気がします。
ルネッサンス以前の絵画はある意味とてもわかりやすい。少なくとも『何が描いてあるのかわからん』ってことはなかったわけですよね。でも近代絵画の時代には『なんじゃこりゃ』と感じる人が少なからず出てきた。大衆性・娯楽性は薄くなったかもしれないわけで…。
そう思うと、少しジャズの歴史がわかりやすくなったような気がします。
では次回は、いよいよモダンジャズの発展についての講義をお願いします。

わかりましたー、お楽しみにねー!

やっとこさジャズの大転換期にたどり着いたこの連続講義。生徒・砂原もだんだんおもしろくなってきました。

いやー、それにしても。
ジャズと禁酒法との関連とかの話を聞いていると、なるほどーと思うことが多いんですね。
禁酒法あればこそ…とは言わないまでも、娯楽の少なかった時代、ジャズ(もちろん生演奏ですね)やお酒が楽しめることは、富裕層の特権。オカネになるからこそマフィアともつながりがあったわけで、シナトラの人気の影にもマフィアの存在は大きかったとか。

ピアニストのファッツ・ウォーラーがあるとき誘拐(オトナでもKIDNAPっていうのかな?)されて、命の危険を感じながら行った先はアル・カポネのパーティ。そこで3日間、ずーっと演奏させられて、すごい金額のギャラをもらって解放された…とか。
こんな余談のようなエピソードも、ジャズの歴史をカタチ作っているんですね。
僕自身、次回の講義が今からたのしみです!




PAGE TOP