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ジャズ探訪記関西を中心に、往年の名盤を聴かせるバーから、生演奏も楽しめるレストランまで人気のジャズスポットを紹介!

vol.96
NARU

歴史を引き継ぎ、ジャズの「今」を体現し続ける
@東京・お茶の水

お茶の水駅前の交差点はいつ来ても活気に溢れている。数多くの大学、楽器店などが周辺を取り囲み、若者を中心にあらゆる世代の人々が行き交っている。学生時代をこの街で過ごし、その光景に懐かしさを感じる方も多いのではないだろうか。
ジャズライブハウス『NARU』はこの交差点からわずか1分足らずのビルの地下一階にある。オープンは1969年。大学紛争で機動隊が出動する激しい時代のさなかから45年間、ライブハウスの「名店」として移り変わる時代とジャズをずっとこの場所から体現し続けてきた。
「父が代々木でジャズ喫茶を始めたのが1966年。代々木NARUは今年48年目を迎えます。『プーさん(菊池雅章)が演奏できる場所を』ということで、ここお茶の水にライブハウスとして二軒目の店をオープンさせました」と話してくださったのは2代目オーナーの成田広喜(ひろのぶ)さん。成田さんの父、成田勝男氏はNARUの創設者としてはもちろん『スウィングジャーナル』の企画にもたびたび登場した著名な存在だった。お茶の水店のこけら落としは菊池雅章(p)のトリオにゲイリー・ピーコック(b)が参加するというゴージャスなもの。また弱冠17歳の渡辺香津美(g)がデビューを果たしたのもここNARUだった。一方代々木店もその後ボーカル中心のライブハウスに変り、プロへの登竜門として近年では青木カレンをはじめ数多くのボーカリストを輩出している。先代から現オーナーの成田さんへ、名店の歴史はどのように引き継がれたのだろうか。

「家ではクラシック音楽しか流れていませんでしたし、父がこの世界で名の通った人間だということも全く知らなかった。音楽に関心を持ち始めた中学生時代、友人から借りたベースを家で練習していたら『お前は楽器はやるな』と父に言われました。つまり、楽器を演奏するようになるとミュージシャン目線になってしまうから、ということだったらしい。彼の中ではすでに僕に店を継がせたいという想いがあったようです」。
学生時代はレスリングなどのスポーツに没頭し、その後経営学を学ぶためアメリカへ留学。成田さんは父とは違う道を歩むはずだった。だが留学中の彼のもとに、突然父の余命を知らされる連絡が入ったのは2000年の暮れのこと。そして翌月、成田さんが帰国したわずか5日後に父・勝男さんは他界された。
店を継続するにせよたたむにせよ、すでに数ヶ月先まで入っているブッキングだけはなんとかしなくてはと、とりあえず1年間だけやってみようと成田さんは決心する。そして結果的にそれが今日まで続くこととなった。「父にしてやられた、という感じですね」と笑う。

『NARU』のスケジュールには、ジャズを牽引してきた有名ベテランミュージシャンも、若手の人気ミュージシャンも、そのどちらも見ることができる。今の日本のジャズの縮図といっても言い過ぎではない。本日のライブは太田 剣(as)・フロリアン・ウェーバー(p)・寺尾陽介(b)・勘座 光(ds)の若手実力派カルテット。まだ週明けでしかも外は雨だというのに客足は上々、その人気のほどがうかがえる。
「若い音楽家を発掘し、育てていくことはジャズクラブの大事な役割です。一方で老舗のステータスを感じさせるベテランミュージシャンの存在も欠かせない。常に自分の耳で演奏を聴き、ブッキングに反映させるようにしています。また演奏にレジェンドを求めたい観客と、最先端の新しい音楽を聴かせたいプレイヤー、そのギャップをどう埋めていくのかも我々の仕事ですね」と成田さん。
ピアノをぐるりと囲むテーブルやカウンターは、ひとりで来ている観客で満席だ。若い女性や学生らしき姿も目立つ。ボックス席で演奏を聴きながら丁寧に作り込まれた料理とお酒を楽しんでいるのは常連さんだろうか。成田さんは自ら店に立ち、若いスタッフとともに隅々にまで気を配る。長身でスポーツで鍛え上げた風貌、きりっと背筋を伸ばす姿はジャズの用心棒、いやジャズの守護神ともいうべき頼もしさだ。
「僕が今、最も大切にしているのは『ライブ感』ということ。ユーストリームや映像にしないかというお誘いはすべてお断りしています。野球を球場で楽しむように、ここでしか味わえない『今の、生の音』を堪能していただけたら」と成田さん。
その言葉通り、今夜の熱く胸打つ演奏に向けられた拍手は、鳴り止むことなくいつまでも続いていた。