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ジャズ探訪記関西を中心に、往年の名盤を聴かせるバーから、生演奏も楽しめるレストランまで人気のジャズスポットを紹介!

vol.63
いんたーぷれい8

疾風怒濤の歴史アリ、ジャズの伝説玉手箱
@大阪・西天満

エエ、大阪の名物と申しますと、串カツ・たこ焼き・ナンパ橋、ヒョウ柄・てっちり・北新地などと申しまして…。その北新地にもほど近い、お初天神あたりから歩けばほんの10分ほどなんでございます。『いんたーぷれい8』は。

こーんな近場に、数々の伝説を生んだお店(あえて『名店』なんて言いいませんがね)がすでに50年以上の歴史を刻んでいるんですね。そしてその名前は、ジャズファンなら一度ならず見聞きしているにちがいないんでございます。でもまあ、書き手としてはちょっと困ったりするわけですがね、正直なところ。なぜかってえと、どんな風に書いても「何かからの引用」に見えちまうという…。

さて、そろそろ本題に入りますけどね。あ、そこのお坊ちゃんもまだ帰らないでくださいよ、ここからがおもしろいところなんですから。

オーナーの中村陽子さんがここに『いんたーぷれい8』を開いたてえのが1958年。あたしだってまだ生まれちゃあいません。なにしろ、「戦後すぐ、女学生のときに進駐軍の宿舎でジャズを聴いた」ってんですからハンパじゃありません。モボだのモガだののはしりもはしり、今で言うなら上原ひろみか寺久保エレナかってえところです。
ええ、そうなんです。我々がこのお店を知ってる深い理由と浅いワケてえのは、『ハチママ』こと中村陽子さんと例のあの方、山下洋輔さんとの交流でしてね。

なんでも40年ほども昔、洋輔さんがトリオで『8』に来られて、ほらあの、フリージャズてんですか、アレを演っちゃったらしいんです。みなさまご存じのとおり、ありゃあほとんど格闘技。肘打ち・正拳突きはあたりまえ、盛り上がりさえすりゃカカト落としまで繰り出そうてんですから楽器とマジメなジャズファンはたまりません。K-1じゃないんですからね。おかげでピアノの弦は切れるわドラムのペダルは壊れるわ、その演奏の陽気なこと!
なーんて言ってるうちはまだのどかなもので。
その演奏が始まるまではいたはずのお客様やミュージシャンたちはとっとと帰っちまって、盛り上がってるのはハチママだけだったってんですから客商売としちゃあ大変です。リアルな殴り合いがあったワケじゃあありませんが、こりゃあハッキリ言って大ゲンカですよ。
ですがハチママ負けませんでしたねえ、山下洋輔トリオを呼び続けました。捨てる神ありゃ拾う神有りってところでしょうか、ジャズ好きのお客さんも、だんだんと口コミで増えてきたそうでございます。

そんなこんなで、洋輔さんとの交流は今も続き、いわば『大阪の定宿』てえところだそうですよ。
ところがそのハチママ、今はケンカの相手が膠原病のヤロウになっちまったそうでございます。ただ年に一度、「誕生日には這ってでも店に出る!」てんですからそのファイティング・スピリットは変わってませんがね。

その後、現在の『8』は息子さんであるマスターの明利さんが受け継いでおられます。
そうそう、マスターご自身もピアニスト。洋輔さんのジャズに出会ったのがきっかけだったてえますから、いや、この方も筋金入りです。ハチマスターとしてだけでなく、地元の音楽祭のリーダー的存在としてもご活躍されておられます。

取材にうかがった時に、まあいろんな話題が出ましたよ。
ジャズに限らず、ミュージックビジネスそのものが伸び悩んでいる昨今、なかなか我々シロウトの目には触れにくいモンダイもあるようでございますよ。 相手の名前は言いませんがね、中村マスター、今も戦っておられます。良い音楽のために。
販売されてる中古レコードの箱にも「アナログの逆襲」とデカデカと書かれてありました。思わずライトセーバーを出したくなっちまいましたよ。
ハチママの熱い血脈は、たしかに受け継がれているようでございました。嬉しゅうございましたねえ、あたしも。とーってもキュートなピアニストの方にお会いできたことを別にしても、でございますよ。

おっと最後にもうひとつだけ。
あたしとしたことが、なんで『8』かってえことを忘れてました。
ハチママのお誕生日が昭和8年8月8日。オーメンじゃありませんよ、ありゃ666ですからね。銀河鉄道?そりゃ999!
『88はハートが上下に並んだ形だ』なんてことを言った作家もいたそうですがね、ハチママは888と末広がりの三並び、こんなおめでたい誕生日はございません。ハチママとハチマスターに守られて、『いんたーぷれい8』の未来は明るいようでございますね。
お後がよろしいようで…。