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ジャズピープル

生涯現役のシンガーをめざし、いつまでも歌い続けていきたい

久保田利伸氏が“アジアで最高の女性シンガー”と絶賛するスーパーシンガー、YURIさん。甲陽音楽学院の本館ホールで行われた「バークリー音楽大学ヴォーカルセミナー」の講師として招かれ、セミナー開催前にインタビューに答えていただきました。音楽との出会いからバークリー音楽大学時代、大物アーティストとの貴重なエピソード、最後はシンガーをめざしている学生たちに向けてメッセージも聞かせていただきました。

person

YURI
[シンガー]

神戸出身。高校卒業後、ボストンのバークリー音楽大学に進学。在学中から多くの人にその実力を認められ、ゴスペルチームの一員としてブルーノートに出演。卒業後もアメリカを拠点にダイアナ・ロス、チャカ・カーン、久保田利伸などのライブツアー、レコーディングに参加。2006年に帰国し、逆輸入シンガーとして活動拠点を日本に移した後も、コーラス・アレンジ、バッキング・ヴォーカルを務め、トータス松本、ドリームズ・カム・トゥルー、JUJU、AIなど、数多くのアーティストのライブツアーやレコーディングに参加。アーティストたちから、彼女なしではライブができないとまで言わしめる実力派シンガー。2014年には実写版「魔女の宅急便」に映画初出演。劇中歌「VOICE」を披露し、女優としても活躍している。

interview

バークリーで出会った、知らない音楽と知らない世界


── シンガーをめざしたのはいつからだったのですか?

「中学からフルートを始め、将来はフルート奏者をめざしていましたが、神戸のインターナショナルスクールでは在学中にジャズバンドでステージに立っていました。歌うようになったきっかけは、高校の学園祭でヴォーカルを頼まれて、そこで初めて歌ったことです。そのとき、ヴォーカルに目覚めました。それからは親の反対を押し切ってフルートを辞めてヴォーカルに専念するようになりました。今ではフルートはライブのソロで少し演奏するくらいです」

── バークリー音楽大学に進学したきっかけを教えてください。

「それまでバークリー音楽大学のことは知りませんでした。高校の物理の先生がジャズ好きで、私自身、意識していなかったのですが、“あなたはミュージシャンになりたいのでしょ”と見抜いていて、その先生がバークリーに行くことを勧めてくれました」

── どんな大学生活を送っていたのですか?

「大学では学生寮にいたのですが、知らない世界と知らない音楽があることを知って衝撃を受けました。隣に住んでいた南米の学生が朝からサルサを聴いていて、別の学生はヘビーメタルが好きで、世界の音楽がいつも身近にあって、そんな環境に浸かって、それまで日本で聴いたことがなかった音楽を吸収することができました」

── ゴスペルに出会ったのもバークリー音楽大学のときだったのですか?

「高校のときにCDを聴いてジャンルとしては知っていましたが、歌ったことがありませんでした。バークリーではゴスペル隊のメンバーに入って活動していました。先生が優秀なオルガン奏者兼歌手であり、校内のオーディションを受けて入りました。彼のもとに100人くらいのゴスペル隊メンバーが集まって、その100人の中から少数のグループのゴスペル隊があって、そこからさらに10人程度のゴスペル隊に絞られるのですが、その一期生のメンバーになり、日本のブルーノートからオファーをいただいてツアーに参加したこともあります」

60ドルを握り締めボストンからニューヨークへオーディションに

── バークリー音楽大学ではどんな活動を行っていたのですか?

「バークリーでは先生や先輩のつながりもあって、同級生の中には、アーティストのツアーに参加しているミュージシャンもたくさんいました。ゴスペル隊のメンバーの中には、ダイアナ・ロスのツアーメンバーの人もいて、オーディションの話を聞いて、早速、デモテープを送り、ダイアナ・ロスのツアーメンバーになることができました」

── 久保田利伸さんのツアーメンバーオーディションを受けたきっかけは?

「オーディションの話を卒業前に知り合いから聞いて、チャンスだと思ってデモテープを送りました。一次審査に受かってボストンからバスに乗り、ニューヨークのスタジオに行くことになりました。もともと、コーラスをしたいというより、卒業後の進路のことを考えていて、とにかく歌う仕事がしたかったのですが、若くて必死だったのでしょうね。何も考えていなかったのかもしれませんね。ニューヨークに行けば、誰か知り合いがいるだろう、なんとかなるだろう、というくらいしか考えていなかった(笑)。ブライダルのシンガーやクラブのシンガー、ヴォーカルレッスンの講師など、オーディションもたくさん受けましたが、アルバイトもたくさんしましたね」

── 久保田さんのツアーメンバーオーディションはどんな感じで行われたのですか?

「一人ずつスタジオに入って久保田さんといっしょに歌いました。課題曲もなく、久保田さんにこれを歌ってと言われるまま、ぶっつけ本番で歌いました。後日、合格の連絡を受けて、それから1、2か月後に行われた、日本ツアーに初めて同行しました。以来、現在もツアーメンバーとしてコーラスで参加しています。2007年から東京に活動拠点を移すまで久保田さんの日本ツアーがあるときは帰国するという感じでした」

── 大物シンガーと共演も豊富ですが、いっしょにステージに立って感じたことはありますか?

「ダイアナ・ロスさんといっしょにお仕事をさせていただいたのですが、リハーサルや、サウンドチェックのときのステージを仕切る姿がとても印象に残っていますね。ひとつひとつのちょっとした細かいことでも、日本のカルチャーでは遠慮するようなことでも、はっきり言いますね。でも、それはリスペクトがあってのこと。私はインターナショナルスクールにいましたが、日本人で日本育ちなので、10代のときにそんな彼女を見て衝撃を受けました。久保田さんも同じで、歌に関して細かく指示を出されますが、さわやかに言われるので、ビッグな人は同じ感覚を持っているのかもしれませんね。そんな姿を間近に見てきたので、自分がライブをやるときは、同じように接することができればいいと思っています」

── ほかに印象に残っているアーティストとのエピソードを聞かせてください。

「ニューヨークのあるスタジオの前を歩いていると、そこにホイットニー・ヒューストンさんがいたのです。子どもの頃から憧れていて、何を言っていいのかわからなかったので“お会いできてうれしいです”と話しかけると、“あなたもシンガーなの?”と聞かれて励ましてくれました。いっしょに歌うことは実現しなかったですが、そんな出会いがありました。彼女とは誕生日が同じ8月9日なので、勝手に縁を感じています(笑)」

ちょっと生意気なくらいの方が、見ていても聴いていてもおもしろい

── ヴォーカルをめざしている学生のみなさんに伝えたいことはありますか?

「海外ではコーラスをやっている人たちの方が、歌が上手だったりします。人と違う自分がどこかにいるということを忘れず、自分の軸をしっかり持つことが大切だと思います。自分が信じていることは、周りに左右されずに曲げないで続けてほしいですね。コーラスをやるだけではなく、歌をめざしているのであれば、両方できないといけないと思うときがあります。日本は周囲と合わせようとする文化がありますが、それは日本にしかない、いい部分でもありますが、音楽をやっていく中で、ステージに立てば、遠慮しているようではいけないと思いますね。ちょっと、生意気なくらいの方が、見ていても聴いていてもおもしろい歌を歌っているような気がします」

── ソロで活躍されていますが、どんなシンガーになりたいですか?

「シンガーとしてはR&Bというジャンルを歌い続けていきたいですね。日本の女性シンガーでいちばん尊敬しているのは、美空ひばりさんです。彼女のジャンルの演歌や歌謡曲は、私自身これまで歌っていないですが、子どもの頃、祖母がよく聴いていて、大人になってシンガーになって、同じ人生を歩んでいる自分がいて、そう思ったとき、彼女の歌に対しての情熱、人生、存在の凄さを実感しています」

── 将来の夢をお聞かせください。

「ソロデビュー前から話していたことなのですが、生涯現役シンガーでありたいと思っています。おばあちゃんになってもシンガーでいたいという思いを持ち続けて、その炎が消えないように常に何かを発信していきたいですね。アーティストをめざしている若い人たちは、本当にやりたいという思いを持ち続けてほしい。そんな思いをメッセージとして発信し、伝えていきたい。そして、将来的には本物の世界に出しても恥ずかしくないシンガーを発掘して、プロテュースするのが私の夢です」