featuring Kobe Jazz People
Maria Schneider / Composer, Arranger

[Special Report]マリア・シュナイダー・トークショーレポート

「来日していない最後のビッグ・アーティスト」といわれていたあのマリア・シュナイダー氏が自身のジャズ・オーケストラを率いてとうとう日本にやってきました。2012年12月19日、ブルーノート東京で、ステージの合間をぬってトークショーが行われました。ファンの熱心な質問に、少女のような笑顔と気さくなトークで応えるマリア氏。彼女自身が語ったヒストリーや作曲方法など、その魅力をレポートします。

person

マリア・シュナイダー[コンポーザー&アレンジャー]

ミネソタ大学で音楽理論と作曲法を習ぶ。1985年N.Y.に移り、ギル・エヴァンス、ボブ・ブルックマイヤーに師事。1993年に自己のオーケストラを結成。2004年に発表された『コンサート・イン・ザ・ガーデン』は、インターネットのみで発売された限定アルバムとして初めてグラミー賞を獲得。2007年の『スカイ・ブルー』収録の「セルリアン・スカイズ」もグラミー賞の最優秀インストゥルメンタル・コンポジションを受賞。2012年12月、待望の初来日を果たし、連日詰めかける大勢の観客を魅了した。

talk show

音楽との出会い ジャズとの出会い

みなさん、こんばんは。
私はミネソタ州のウインダムという町に生まれ、初めて音楽に出会ったのは4歳の頃。ある日シカゴから引っ越してきたミス・バトラーというピアニストを母が家に招きました。彼女はとてもおしゃれな装いで、私は「この人みたいになりたい!」と思い、母にねだってミス・バトラーの個人レッスンを受けることになりました。最初に教えてくれた「昼のように明るく(メジャー三和音),夜のように暗く(マイナー三和音)」という感情の明暗を呼び起こすようなこの対比は、いまでも作曲する時に頭に浮かんできます。
大学では、作曲と音楽理論を学びながら、多くのジャズ——ジョン・コルトレーン、マッコイ・タイナー、ハービー・ハンコック、チャールズ・ミンガスなど——を聴くようになりました。
ある時ラジオ番組で聴いたビレッジバンガード・セッションのビル・エバンスに興味を持ち、ショップへ行った際にビル・エバンスの「E列」で、偶然よく似た名前の『ギル・エバンス』を発見。「あら、親戚?」なんて思い買ってみると、その音楽にはジャズ、クラシック、フラメンコ、ブラジリアンなど、あらゆる要素が活き活きと存在していたんです。いつしか彼に師事することが私の夢となっていきました。直接頼もうかと彼の電話番号を調べ、ドキドキしながら公衆電話からかけてみたこともありましたが、「マイルスかギルに話したい方はこの留守電に」ってあの声が(マイルスの声の真似。会場爆笑)。即電話を切って、このアプローチは今の自分にはちょっと無理、とその時はあきらめてしまったの。
ビッグバンドの譜面を書くことを先生から薦められ、バンドの練習にも時々参加していましたが、練習に来ていたデイビッド・リーブマン、また卒業後に知り合ったジョージ・ラッセルからも影響を受けました。私も彼等のような個性のある音楽をつくりたい。そう思ってジャズを学びながら作曲を続けていこうと決意したのです。

ニューヨークで自分のビッグバンドを立ち上げる

ニューヨークへ移り、当時『メイク・ミー・スマイル』というアルバムを発表していたボブ・ブルックマイヤーに師事。写譜のアルバイトをしながら、なんとか生活していました。同僚の女性に「自分のビッグバンドを始めたい」と言い、彼女が「で、始めたの?」なんてやりとりは、それから進展もなく2年ほど続きましたね。
ある日、働いていた店に訪れたトム・ピアソン氏から、ギルに紹介してもらえるチャンスを手に入れ、とうとう夢が叶います。
彼のもとで,最初は楽譜をコピーする作業や調音して書きだす仕事などをしていましたが、ギルがヨーロッパのビッグバンドの仕事をするようになると,そのオーケストレーションを手伝うことに。とりあえず大学で習ったように書いていると、彼はこういいます。「違うんだ!音の高い楽器は下の方まで吹かせ、音の低い楽器は上まで鳴らしてプレイヤーがこれは大変だ、と思うような譜面を書いてほしいんだよ!」と。ギルの作曲はユニークで、学校教育では知り得なかったことをたくさん学びました。
一方、まだボブにも師事していましたが、彼は私に「知らず知らずのうちに既成の型にはまって曲作りをしている」ことに気づかせ、音楽のチョイスは無限にあることを教えてくれたと思います。
彼等のような際立つ個性を目の当たりにし、「ではマリア・シュナイダーの音楽とは何か」という問いに向き合わない訳にはいかなかった。友人のトロンボーン奏者ジョン・フェチョックとともに「もういい加減ビッグバンドを始めよう」と、それまで書いた譜面をファイリングし、私が自分で録音したものや、彼がウディ・ハーマンのバンドで録音したものなどをテープにまとめて仕事を探し、メンバーを集めることにしました。
集まったメンバーとの最初のギグはとても緊張しましたが、その時の演奏は本当にすばらしかった。そうよね、グレッグ。(客席にいた、現在もメンバーのひとり、グレッグ・ギスバート氏を紹介。会場拍手)
その後、音楽性の違いからジョンとは別々に活動することになりましたが、私は写譜のアルバイトで貯めたお金をつぎ込み、アルバムを制作しました。
それが『エヴァネッセンス』です。1992年のことでした。

マリア・シュナイダー氏によるQ&A

「では今から質問コーナーにします」というマリア氏の呼びかけに、会場を訪れた観客から彼女の創作に関する質問が次々寄せられました。

——マリアさんの音楽は、最初にビジュアルイメージ、ストーリー、タイトルなどがあるのでしょうか。それとも音楽のインスピレーションが先なのですか?

M「音楽が先ですね。たとえば私はハングライダーをやったことがあるのですが、随分時間が立ってからその経験のイメージが、作曲中にぼんやりと浮かんだことがありました。また誰かのソロを聴き、その音の動きからインスピレーションを得る、ということもあります。ですから両方、ともいえるのかも。ちなみに『セルリアン・スカイズ』はバードウォッチングの経験から着想を得ています」

——マリアさんのコンダクトは正統的な指揮法と違うように思えるのですが、バンドとのコミュニケーションがとても取れていると感じます。ご自分の作品を指揮する、ということに対してどうお考えですか。

M「指揮はいちおう学校で少しは習ったの(笑)。私は恥ずかしがり屋で、人前に立つのがとても恐かった。作曲家になるだろうとは思ってたけど、指揮をするということは念頭になかったので、最初のリハの際は緊張しましたね。でも「こうしたい」と思うことを伝えなければいけないので、パンチが欲しいときはパンチの合図を、アクセントが欲しいときはアクセントマークを指で出し、自分が聴きたいと思う表現を私なりに指示していたと思います。最初のアルバムを制作した時、録音を聴いたグレッグ(tp)が「あ、こういうふうに聴こえるんだ」と言ったんですが、私が前で聴いているサウンドと、彼が後列で演奏しながら聴く音とでは全く違います。ですから『私が聴きたいと思うニュアンス』を伝えることが重要ですね」

——マリアさんの曲は透明感があって美しいのですが、その中でちょっとノイジーな音のギターを使っているのはなぜなのか,教えてください。

M「ギターは、乳化剤として、つまりドレッシングの酢とオイルのように、サックスとかトロンボーンの音をうまく混ぜ合わせるために使っています。ただアンプを使うので難しい面もあるし、個々のプレイヤーによって出す音色が違うので,苦労することもあります」

——作品はどのようにしてつくられているのでしょうか。

M「私は『型』が好きではないので、五線さえ書いていない真っ白い紙で作曲します。私はまさに「これが音楽」と感じられる作品をつくりたい。つまり深い感情を呼び起こす音楽のことです。譜面とか、音とか、表記によって制限されたくないので,曲のパーソナリティを思い浮かべて直感でつくっていきたいと思っています。作曲する方は経験があるかと思いますが、直感だけで進めていこうとすると必ず壁に当たります。私はそんな煮詰まってしまった時に,自分の好きなメロディーやアイデアの中には、必ず数学的に計算できるなにかがあるのでは?と考えます。法則を探し、音階やインターバルを調整するなど、自分なりにつじつまをあわせようと試行錯誤してみます。答えが見つかるまでに十日かかることもあればひと月かかることもある。でも見つけ出そうとすることでそこからまた新しいひらめきが生まれることもありますね。
曲作りでいちばん大切なのは『必然性』だと思いますが,ソロに関しては難しい。『必然性』をテーマに最初から最後まで曲を書き進めても,ソロの部分だけは何を書いたらいいのか、また何が起きるか予想できません。私の場合、曲によってその部分の自由度が高いものと、かなり作曲されているものと両方がありますが、たぶん前者のほうが好きなのかな。あらゆる可能性を無限に持っていると思いますから。
このように自分がこだわるアイデアやモチーフが、何によって形づくられているのかを探し当てた時は、もう、嬉しくてたまらないの。
みなさん、今日は本当にありがとうございました」

取材協力:BIGBAND!編集部アタカルプランニングブルーノート東京
通訳:赤星友子
Photo:Yuka Yamaji/Takuo Sato/Akira Tsuchiya