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ジャズピープル

アキラ・タナ
音の輪で日米をつなぐ

ハーバード大学卒の日系二世ジャズドラマー、アキラ・タナ(日本名: 田名照)さん。世界のジャズ最前線を駆け抜けてきたジャズ第一人者。東日本大震災後、チャリティーで始めた「Otonowa(音の輪)」プロジェクトで2013年より毎年日本ツアーを開催しています。日本語も交えて話すアキラさんは知り合ったとたん長年の知己のように感じさせてくれる不思議な魅力をお持ちです。10月に控えた日本ツアー前にお話を伺いました。
アーティスト・インタビュー by マグワイア由紀子

person

アキラ・タナ

 1952年3月14日、カリフォルニア州パロ・アルト生まれ。ハーバード大学にて社会学東アジア研究専攻で学位を得た後、ニューイングランド音楽院でパーカッションを学ぶ。卒業後ニューヨークに移り、ソニー・ロリンズに始まってソニー・スティット、ミルト・ジャクソン、ジム・ホール、J.J.ジョンソンというジャズの巨匠たちと共演してジャズ最前線におどり出る。
アート・ファーマー、パキート・ドリベラ、ジェイムズ・ムーディー、レナ・ホーン、マンハッタン・トランスファーとジャズ界きってのトップアーティストとの共演以外にも、クラシック界の一大イベント、タングルウッド音楽祭ではレナード・バーンスタイン、小澤征爾、ガンサー・シュラーというクラシックの巨匠たちが指揮するボストン交響楽団と共演。さらにはシャルル・アズナブール、モーリス・ハインズ、ヴァン・ダイク・パークスなど様々なジャンルのアーティストともコラボしている。
教育分野では、バークリー音楽院、マイアミ大学、サンフランシスコ州立大学など多くの米国の大学でワークショップやクリニックを開催。米国国務省主催でヒース・ブラザーズと南米コンサート&クリニックツアーも行った。 1999年に20年ぶりにサンフランシスコ・ベイエリアに活動拠点を移す。東日本大震災後にカリフォルニアのアートギャラリーで日本人と日系アメリカ人ジャズミュージシャンが集まってチャリティーコンサートを開催したことがきっかけで「Otonowa(音の輪)」プロジェクトが始動し、2013年から毎年日本とアメリカの音楽を融合したジャズを被災地に届ける日本ツアーをしている。今年は、東北だけでなく、熊本地震被災地でもライブを開催して音の輪を広げる。ツアー以外にも世界各地で日本のアーティストと積極的に共演するなど、日米の架け橋を体現している。


interview

ドラムを始めたきっかけは、鍋釜を叩いて音を出したこと

── いつ頃から音楽に関わるようになったのですか?

「私は幼い頃から音楽に接して育ちました。 私の母が言っていたのですが、まだ幼い私が泣いたり怒ったりする時にラジオの音楽を聞かせると落ち着いたそうです。」

── ご家族にミュージシャンのご家族はいらっしゃいますか?

「私の母が琴とピアノを弾く人で、自作の短歌が1949年に宮内庁主催歌会始に選ばれたほどの歌人でした。三人の兄はプロにはなりませんでしたが、ギター、トランペットやピアノが上手でした。両親はどちらも、第二次世界大戦以前に日本からアメリカに移民してきた日系一世です。」

── ドラムという楽器をなぜ選ばれたのですか?

「私は小学生の時、まずトランペットとピアノのレッスンをはじめました。10歳の時、私が鍋釜を叩いて音を出すのをみた母がスネアドラムをレンタルしてきてくれたのがドラムを始めたきっかけです。」

── どんなきっかけでジャズに関わるようになったのですか?エピソードがあったら教えてください。

「私には12歳、11歳、10歳年上の兄が三人がいます。彼らの影響でジャズをよく聴いていました。家には兄たちが買ったライオネル・ハンプトン、デイブ・ブルーベックなどのレコードがあってよく聴きました。彼らに連れられて自宅から近いスタンフォード大学で開催されていたジャズコンサートによく行き、エラ・フィッツジェラルド、ルイ・アームストロング、セルジオ・メンデス&ブラジル66などを生で見ました。高校では、ロックバンドのメンバーでした。そのバンドのベース奏者からマイルス・デイビスの「マイルス・スマイルズ」というLPレコードを1ドルで譲ってもらって聴いた時、とても強く心に響きました。それでジャズを勉強したいと思うようになったのです。その気持ちはいまでもずっと持ち続けています。」

ミュージシャンになるということ

── いつプロのミュージシャンになることを決心されたのですか?

「私は意識的にプロのミュージシャンになると決心したわけではありません。 音楽は私が子供時代から身近なもので私自身の一部とも言えるものです。もちろん今でも音楽への興味や関心は持ち続けています。 音楽の研究に携わることで、私はアーティストコミュニティの一員となり、そのおかげで私はこの地球上で最高のミュージシャンの何人かと一緒に演奏する機会を得ることができました。 そんなチャンスに巡り会えたことにとても感謝しています。」

── あなたはハーバード大学とニューイングランド音楽院で学ばれました。それはミュージシャンになるのにどんな影響を与えたのでしょうか?

「振り返ってみると、ハーバード大学進学では、自宅(カリフォルニア州)から離れて自分らしさやアイデンティティを発展させることができました。そして、この間ずっと音楽に興味を持ち続けている自分に気づき、私は大学卒業後、自分が音楽的に成長する為ニューイングランド音楽院に進みました。ある意味自分勝手でおかしく聞こえるかもしれませんが、ハーバード大学に進んだのは両親のためで、正式に音楽を勉強することは、私がそれまでにしたことがなかった「自分が本当にやってみたいと思うこと」だったのです。」

── あなたがミュージシャンになると言った時、ご両親は何と言われましたか?またご両親はどんな方だったのでしょう?

「私の両親は、決して、私が自分で決めたことに対して決めつけたり、押し付けたりすることがありませんでした。また、どんなことにもサポートを惜しむことがなく、それは私の兄たちに対しても同様でした。私の両親は日系一世なので、アメリカで生まれ育った自分の子供たちが、日本で生まれ育った自分たちと大きく異なる人生を歩み、彼らが直面する困難もまた自分の経験とは違ったものであると認識しており、移民として非常に啓発された人たちでした。ですから、子供たちが自分の人生について健全な意思決定を行うことを尊重し、自分の気持ちや意見を押し付けたりすることがなかったのです。私がもし日本で生まれ育ったとしたら、社会的な規範やプレッシャーによって自分の選択が左右されたかもしれません。しかし、私の両親はアメリカで生きるということがいかに日本で生きることと違うことかをよく理解していました。私もこの哲学を自分の子育てに取り入れるようにしています。
私の両親は第2次世界大戦以前にアメリカに移住した移民で、戦時中は日本人収容所に離れ離れに収容される困難を乗り越えた人たちです。父は浄土真宗のお坊さんでした。母は日本で教師をしていましたが、アメリカ移住後は長年家政婦をしながら勉強を続け、71歳にしてコミュニケーション学で修士課程を獲得しました。」

── プロのミュージシャンとしてツアーをされることはどんなことでしたか?

「演奏する音楽の種類によりますが、プロになるとツアーすることが必要です。交響楽団員、ブロードウェイのピットで演奏するバンドミュージシャンやスタジオミュージシャンは仕事場が決まっているのでツアーする必要がないかもしれません。しかし、私の場合、世界の色々な場所にツアーで行き、その土地の文化、料理、人々と出会うという素晴らしい機会を得ました。 若いうちに旅行できることは間違いなく利点です。ただ年齢を重ねるにつれて旅行は身体的にきつくなる可能性があります。また、結婚して家族ができると優先する順位が変わります。とはいえ、皆それぞれが、その時々で、色々な角度から調整をし、様々な変化を人生の全体計画に取り入れて行く努力をしていくことが大切だと思います。」

── あなたはかの有名なソニー・ロリンズと演奏されてキャリアをスタートされましたが、彼のバンドで演奏することはどんなことでしたか?

「私のボストン時代の私のルームメイトは、ハーバードの同級生で、当時すでにソニー・ロリンズの専属ベーシストだったジェローム・ハリスでした。彼は、ソニーが次のツアーのドラマーを募集しており、オーディションがニューヨークであるので私も受けてみるようにと勧めてくれました。会場はニューヨークのリハーサルスタジオで、私はそこに誰よりも早く到着しました。ソニーはやってくるなり、一緒に演奏してみようと言って、他の人が来るまでずっと二人だけで演奏しました。ジャズレジェンドと一緒に同じ部屋にいるだけでもすごいのにそのレジェンドと二人っきりで演奏できるなんてものすごいことです!彼は、私に帰らないで残るようにと言い、私は色々な組み合わせのリズムセクションでリハーサルをしました。結局私は丸一日そこにいました。1日の終わりに彼から、フェニックス、シカゴ、インディアナポリス、オハイオ州アクロンなどを巡る2週間のツアーに参加するようにと言われました。ツアーは信じられないほどのエネルギーを必要とする過酷な音楽を演奏するもので私にとって全く初めての経験でした。アクロンではなんと2時間休みなしで演奏したのです!
彼と演奏し、一緒に時間を過ごし、私はソニー・ロリンズというレジェンドが何故レジェンドなのか知ることができました。それは、彼にずば抜けた集中力、パワー、そして創造力があるからだけでなく、彼自身の楽器と音楽へ対する献身が比類のないものだからなのです。彼にとって音楽は人生であり、人生は音楽なのです。彼のような天才を間近で感じることができたことはとても幸運なことでした。」

日系アメリカ人であるということ

── ジャズミュージシャンではちょっと珍しいアジア系の日系アメリカ人であるということはどんなことですか?

「珍しいと言われますが、アメリカにはアジア系のジャズミュージシャンがたくさんいますよ。 70-80年代に活躍した増尾好秋(ソニー・ロリンズ)、鈴木良雄(アート・ブレイキー)中村照夫(ロイ・ヘインズ)など日本から来た人がいますし、現在活躍するリンダ・オー、敦賀明子、ヘレン・スン、ジャスティン・カウフリン、ザ・マグワイア・ツインズのような若いアジア系のミュージシャンもたくさんいます!
まず一般的に、ジャズミュージシャンであること自体がそんなに簡単なことではありませんし、アジア系アメリカ人であることは間違いなくあまり助けになりません!! その一方で、自分がどんな人間で、舞台上でどのように見えるのかからは逃れることはできません。日本の名前を持つことは、アメリカのジャズミュージシャンとしてのアイデンティティにちょっと面白い意外性を加えてくれるでしょう。批評家や観客の一部の人から、私のドラムソロに日本人の太鼓の影響を感じると言われたことがありました。私は今でこそ現在進行中の「Otonowa(音の輪)」プロジェクトで太鼓を意識して演奏するようになりましたがが、70年代後半にヒース・ブラザーズと演奏していた頃は意識などしたことはありませんでした。ただ無意識のうちに影響を受けていたことはあるかもしれませんし、また観客が私の外見を見て私のドラムと太鼓と結びつけていたかもしれません。」

── あなたは二世の日系アメリカ人ですが、あなたの家族について教えてください。

「はい、私は二世です。 私の両親は第二次世界大戦前にアメリカに移住した日本人です。 戦時中は両親が別々の日本人収容所に入れられていました。日本の先祖は浄土真宗のお寺関係者です。 私の父は仏教のお坊さんで、私の母は家族に自分の父親を含めて9人もお坊さんがいる一家の出身です。どちらも北海道の出身です。」

── 日系アメリカ人であることはどんなことですか?

「これは、本の題名になるような壮大なトピックですね。 この質問に十分に答えるには膨大なスペースや時間が必要でしょう。とはいえ、手短に言うと、日系アメリカ人二世は、自分の民族的背景を意識するようになると、日本文化や日本語などを評価し始めるものなんです。 日本へ旅行することはすばらしい経験です。特に単一民族の日本から帰国するたびにアメリカがいかに人種的に多様な国であるか日米の違いを感じます。」

── 音楽以外の趣味はなんですか?

「私は映画を見に行ったり、ゴルフをしたり、美味しい食べ物を食べることが好きです。だから太りすぎなんです!」

── ツアーされていないときはどうすごされますか?

「ツアーをすることは簡単なことではないので、家ではなるべくリラックスするようにしています。庭仕事、ゴルフ、映画鑑賞をして過ごします。」

── 今後の目標は何ですか?

「私はもう若くてクレイジーだった頃がすぎた年齢です。とはいえ、同年代の中ではまだクレイジーかもしれませんね。 もう年齢的に人生の残り時間は過去の時間に比べて長くないとわかっているので、自分に今ある「物」やできる「事」に感謝し、それを最大限に活かしたいと思います。私の演奏キャリアがひと段落したら、もっと作曲活動をしたいと思っています。」

若いミュージシャンの皆さんへ

── プロのミュージシャンになるにはどうしたら良いと思いますか?

「おそらく、プロのミュージシャンになろうとするのではなく、規律、謙虚さ、忍耐力、そしてユーモアのセンスを持ち、前向きに自分の芸術性を深め高めることが大切ではないかと思います。そして、あなたが自分の音楽を聞いてもらいたいと思うミュージシャンのコミュニティにどっぷり浸かることではないでしょうか。」

── ミュージシャンとして成功するためにどんなことをされたとお考えですか?

「振り返ってみて、私自身が前の質問にお答えしたことをやったと言えたらいいのですけれどね。とにかく、私はこの地球上で最も素晴らしいミュージシャンの何人かと演奏してレコーディングの機会を得られたことに感謝しています。音楽に対してオープンなマインドとハートを持ち続けることが、金銭的な成功ではないかもしれませんが、最も大切な成功、つまり、スピリチュアルな成功を永遠に保証してくれると思っています!」

── 日本のファンにメッセージをお願いします。

「音楽は太古の昔から神々からの贈り物です。この贈り物を分かち合うことは、プロ、アマチュア、学生、駆け出し、初心者の誰であろうと観客の皆さんのために演奏するミュージシャンであれば誰にとっても大きな喜びです。それは特典、そして栄誉なのです。これは決して忘れてはないけないと思っています!」

「Otonowa(音の輪)」プロジェクト

── 音の輪プロジェクトについて教えてください。

「「Otonowa(音の輪)」は2011年3月11日、2万人以上が命を落とした東日本大震災の支援プロジェクトとして日本人と日系アメリカ人の4人のミュージシャンが集まって2012年に始動しました。日米をつなぐ音楽で地震や津波の犠牲者の冥福を祈り、被災者の方々を支援するプロジェクトです。今までに2枚のCDをリリースしていますが、今年のツアーに合わせて3枚目のCDをリリースします。このCDでは、美空ひばりの「愛燦燦」、日本の唱歌、映画やテレビなどのヒット曲をアメリカのジャズの伝統に照らし合わせてアレンジした曲や、アジア系アメリカ人運動のパイオニア、クリス・カンド・イイジマに敬意を表したオリジナル曲などが収録されています。震災後の復興に骨を折る人々と音楽を共有し、被災者の悲しみが忘れられていないことを知ってもらうため、2013年より毎年日本ツアーを続けている私たちの音楽がささやかながらも人々の心をつなぎ、癒しとなればと思っています。」

── Otonowaプロジェクトを始めたきっかけとメンバーを教えてください。

「2011年の東北大震災の後、カリフォルニアのアートギャラリーで募金活動のためチャリティーコンサートを開催したのがきっかけです。 ケン・オカダとマサル・コガが共演してくれました。日系アメリカ人として育った私には耳にすることのなかった日本の唱歌や人気ヒット曲のメロディーを演奏しました。 それを見た私の友人カール・ヤマダがこのグループのミッションに共感し、レコーディングを企画してくれました。それがきっかけでニューヨーク在住の日系人ピアニスト、アート・ヒラハラがグループに参加しました。 彼はリーダーアルバムを4枚リリースしているアーティストです。アルバムにはメンバー全員がオリジナル曲を提供し、日本の歌を素晴らしいジャズテイストのきいた曲にアレンジしてくれました。」

── 毎年「Otonowa(音の輪)」で日本をツアーされています。日本ツアーについて教えてください。

「今まで5年連続で日本ツアーをしています。6年目となる今年は神戸でもライブがあり、10月28日に神戸ボーンフリーでライブします。今までの日本ツアーは毎回本当にすばらしい経験でした。 ツアーでは私の両親の出身地、北海道にはまだ訪れていませんが、私の両親の祖国で自分たちの音楽をシェアできるこの喜びは言葉で言い表せません。 ツアーのおかげで京都、東京、横浜など各地に住む親戚と会うこともできました。」

── 今年の「Otonowa(音の輪)」ライブはどこで開催されますか?またどんなツアーになりそうですか?

「ツアー日程は下記をご覧ください。 ツアーはまずアメリカで始まります。それから、日本ツアーが続きます。アメリカツアーでは、スペシャルゲストに日本ツアーで知り合った津波被災者の岩手県大槌町出身トランペット奏者、臺隆裕(だいたかひろ)を迎えて演奏します。2013年に初めて東北ツアーをして出会った当時、彼はまだ高校生でした。
今年は、九州をツアーし、ここ数年毎年ツアーをしている関西でも演奏します。友人のピアニスト、小川容司さんのすばらしいサポートのおかげで関西公演が実現できています。震災は2011年でしたが、私たちはその苦しみが未だ癒えず、復興がなかなか進まないことをよく理解しています。 私たちは、こうした街を何年間か続けて訪れ、親交を深め、絆を強めてきました。私たちが音楽を通して伝えたいメッセージは、被災のことを忘れていないということです。 」

※アキラ•タナは,Yamaha Drums, Vic Firth Sticks, and Sabian Cymbalsを演奏しています。

information

[ RECOMMEND MOVIE ]

Otonowa(音の輪)ドキュメンタリービデオ


[ Live Information ]

「Otonowa(音の輪)」2018日本ツアー日程

10/19 (金)
唐桑御殿つなかん
気仙沼市唐桑町鮪立81
会場 16:30 開演 17:00
入場料無料
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10/20(土) 
大槌町文化交流センター「おしゃっち」
岩手県上閉伊郡大槌町末広町1番15号
開演: 13:00
スペシャルゲスト: 臺隆裕(tp)(大槌出身), 金子純恵(箏・三味線)
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10/21(日)
大船渡リアスホール・マルチスペース
大船渡サンドパイパーズ・オーケストラの皆さんとのジョイントコンサート
大船渡市盛町字下舘下18-1
開場: 17:45
開演: 18:00 
18:00 大船渡サンドパイパーズ・オーケストラ
18:50 Otonowa
20:00 合同演奏・ジャムセッション
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10/22(月)
いしのまき元気いちば・ディナーコンサート
石巻市中央2-11-11
開場: 17:30
1st Set: 18:30 2nd Set: 19:40
予約: TEL 0225-98-5539
入場料: 3,000円 (食事付) 要予約 先着60名まで
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10/23(月)
New Combo
福岡市中央区渡辺通5-1-22
開演: 20:00
予約: 092-712-7809 または combo@f2.dion.ne.jp
入場料: 前売3,500円 当日4,000円
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10/24(火)
熊本御船町仮設「みんなの家」
開演: 13:00
一般入場不可

酔ing - Swing -
熊本市中央区花畑町10-10 中山ビル2F
開演: 20:00
予約: TEL 096-356-2052
入場料: 前売3,500円 当日4,000円
Facebookイベントページ

10/25(木)
Zingaro
熊本県阿蘇郡南阿蘇村中松3883−1
開演: 19:00
予約: TEL 096-762-9828
入場料: 前売3,000円 当日3,500円
Facebookイベントページ

10/27(土)
阪急OASIS 伊丹鴻池店 オアシスカフェ
兵庫県伊丹市鴻池4-1-10
1st Set: 11:00
2nd Set: 12:00
入場料: 無料

Bonds Rosary
京都市東山区廿一軒町236 鴨東ビル3F
開場: 18:30
開演: 19:30
スペシャルゲスト: 杉山千絵(vo)
予約: TEL 075-285-2859
入場料: 前売3,500円 当日4,000円

10/28(土)
阪急OASIS 日生中央店 オープンカフェ
兵庫県川辺郡猪名川町松尾台1-2-1
1st Set: 11:00 2nd Set: 12:00
入場料: 無料

Born Free
神戸市東灘区岡本2-5-8
開場: 19:00
1st Set: 19:30 2nd Set: 21:00
スペシャルゲスト: 杉山千絵(vo)
予約: TEL 078-441-7890
入場料: 前売3,500円 当日4,000円

10/29(日)
晴れたら空に豆まいて
渋谷区代官山町20-20 モンシェリー代官山B2
開場: 18:30
開演: 19:30
予約: TEL 03-5456-8880 または info@mameromantic.com
入場料: 前売3,500円 当日4,000円 (別途要1ドリンク600円以上)



[ Release ]

愛燦燦
「Otonowa(音の輪)」3枚目のCD。2018年10月リリース予定。日本ではツアー会場で販売します。美空ひばりの「愛燦燦」をはじめとして、唱歌、映画やテレビなどのヒット曲などをアメリカのジャズの伝統に照らし合わせてアレンジした曲や、アジア系アメリカ人運動のパイオニア、クリス・カンド・イイジマに敬意を表したオリジナル曲も収録されています。

メンバー
Masaru Koga (Sax, Flute, Shakuhachi & Percussions)
アート・ヒラハラ (Piano)
Noriyuki Ken Okada (Bass)
Akira Tana (Drums & Leader)

収録曲
1. あんたがたどこさ
2. 愛燦燦
3. 火の国旅情
4. 波浮の港
5. 村祭り
6. 浜辺の歌
7. 夏
8. 太陽にほえろ
9. つながれた大漁旗
10. Kando
11. Peace

VegaMusic
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