※ お使いのFlash Playerのバージョンによっては、フォトギャラリーが正常に再生されない場合があります。
26回目を迎えた富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル 2011。
今年はジャズ界の“帝王” マイルス・デイヴィス没後20年にあたり、彼への敬意を表した今回限りのスペシャル・ビッグバンドが誕生しました。日野皓正とルイス・ナッシュという二人のリーダーのもと、日米両国から生え抜きのメンバーが結集。
その公演6日目となるステージが、ここモーション・ブルー・ヨコハマで開催されました。
オープニングは日野+リズムセクション4名のコンボによる『ディア・オールド・ストックホルム』。強力にスウィングする演奏が早くも観客を釘付けに。2曲目『バイ・バイ・ブラックバード』からメンバー全員が登場し、いよいよマイルスゆかりの、宝物のような名曲がスペシャルビッグバンドのサウンドとなって炸裂します。
アンコールを含め全9曲・約一時間半の演奏は、全く飽きさせることなく終始観客を惹きつけました。そこには理由があります。
ひとつには、日米両国のプレイヤー達が、プライドをかけてこのツアーに参加している意気込みがひしひしと伝わってきたことでしょう。
一見穏やかに見えるメンバーの表情も、誰かがソロを取りはじめると、その音を吟味するかのようにじっと耳を傾けている様子がうかがえます。さらに観客がどのような反応を示しているか、鋭い視線は客席にも向けられます。こうした交錯する緊張感が、凄味のあるステージを生み出していたといえます。
二つ目は、鮮度のいいアレンジとそれをまとめ上げるルイス・ナッシュの懐の深さ。マイルスの名演で知られるあまりにも有名なオリジナル曲の良さを活かしながら、ビッグバンドというサウンドの可能性を果敢に探る好アレンジを担当した注目の新鋭・マイケル・ディーズ(右側写真・上から4点め右。左はパット・ハララン)。今回のように即席に組まれたビッグバンドは、ややもするとバラバラで不揃いな演奏になりがち。しかしそうさせなかったルイス・ナッシュをはじめとするリズム隊の素晴らしさに、メンバーの才が活かされたのではないでしょうか。
そして三つ目はなんといっても日野皓正の存在と各ソリストの魅力。
日野は「数多いトランペッターの中でもマイルスは別格」というだけに、演奏へのモチベーションの高さは想像を超えたもの。マイクなしで客席まで食い込み、全身全霊で吹ききったその迫力は圧巻でした。メンバー各人の演奏も終始エキサイティング。うわさどおりの華麗なソロを披露したトランペッター、テレル・スタッフォード(右側写真・上から2点め)や熱い視線を集めていたマイケル・ディーズ(tb)など、タレント揃いのアメリカ勢。対して、余裕とユーモアを持って会場を沸かせた片岡雄三(右側写真・上から5点め)。誇り高き珠玉のソロを聴かせたベテラン・中牟礼貞則。随所きっちりキメたエリック・ミヤシロの存在感など聴きどころ満載。
ステージ横の窓の外は、行き来する船とベイブリッジ、それを彩る無数の灯り。首都圏随一の美しいロケーションを誇る、このライブハウスの風景にふさわしい、記憶に残る鮮やかな一夜となってコンサートは幕を閉じました。
1958年アリゾナ州フェニックス生まれ。10歳からドラムを始め、21歳で既にファースト・コール・ドラマーとして活動し、ソニー・スティットやアート・ペッパー、リー・コニッツ等大物と共演。さらにロン・カーター4、トミー・フラナガン3のレギュラーを務め、ソニー・ロリンズのツアーにも参加。多くのミュージシャンが共演を望む屈指のドラマーであり、「富士通コンコード」でもその実力は実証済みである。
日野皓正(tp)、ルイス・ナッシュ(ds)
テレル・スタッフォード(tp)、エリック宮城(tp)、岡崎好朗(tp)、奥村 晶(tp)、マイケル・ディーズ(tb)、パット・ハララン(tb)、片岡雄三(tb)、池田雅明(tb)、スティーブ・ウィルソン(as)、多田誠司(as)、ジミー・グリーン(ts)、シャレル・キャシティ(ts)、ゲーリー・スムリャン(bs)、中牟礼貞則(g)、リニー・ロスネス(p)、ピーター・ワシントン(b)
※2stのみ
- 1. Dear Old Stockholm
- 2. Bye Bye Blackbird
- 3. So What
- 4. Someday My Prince Will Come
- 5. Stella By Starlight
- 6. Autumn Leaves
- 7. Two Bass Hit
- 8. On Green Dolphin Street
- アンコール. Walkin’
1942年10月25日東京生まれ。タップダンサー兼トランペッターであった父親より、幼少よりタップダンスとトランペットを学び、ティーンエイジで既に米軍キャンプのダンス・バンドで活動を始める。日本人初のブルーノートレーベル契約アーティストであり、日米に活躍の場をもつ国際的演奏家として活躍中。後進の指導、チャリティ活動にも積極的に取り組んでいる。