ビッグバンドトーク
野々村 明 これまでに私が実際に見た、聴いたバンドについて順次紹介します。
古くは30年前に来日したベイシー、サド・メル、敏子・タバキン、
ギル・エバンスなども記憶をたよりにそのうち書きたいと思います。
ビッグバンドって
ビッグバンドはポピュラー音楽、特にジャズにおけるバンド形式の一つ。一般には大人数編成によるアンサンブル形態のバンド、あるいはこの形態で演奏されるジャズのジャンルのことを指す。前者はジャズ・オーケストラ、後者はビッグバンド・ジャズと表現をすることもある。アンサンブルの形態としては、高度なアレンジとソロパートの組み合わせにより演奏されるため、即興演奏を主とするジャズ・コンボとは対極を成すといえる。ジャズのジャンルとしては1930年代と1940年代に主流となっていたスウィング・ジャズと同義語とされることも多いが、近年ではビッグバンドの形式でスウィング・ジャズ以外(ビバップ、フュージョンなど)が演奏されることも多いため、現在では必ずしも同義語とは言えない。※出典: フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」
秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド (LAバンド) 秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキン(NYバンド) バックナンバー

今回は私が尊敬するピアニスト、コンポーザー、ビッグバンドリーダーである秋吉敏子さん。1956年ちょうど50年前に日本人として初めてバークリー音楽大学(当時は音楽院)に入学。ジャズというアメリカの文化をそれも50年前の男性社会、人種偏見の中、挫折や苦労をされながらも先駆者として現在まで数々の素晴らしい功績を残されています。そのへんのところは秋吉さんの自伝≪ジャズに生きる≫(岩波新書)を是非読まれるべし。

1973年にロサンゼルスで【秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド】を結成、翌年レコード『孤軍』を発表。1976年ビッグバンドとして来日。2月8日大阪サンケイホールに見に行きました。秋吉さんからメンバー紹介のあと「私たち今からチューニングをします」とチューニングからブルースに変わる『 TUNING UP 』という意表を付く曲から始まりました。この日は実際に鼓や民謡の方との共演もあり独創的でセンセーショナルな楽曲とビッグバンドのお手本的楽曲のコントラストに改めて日本の文化やアイデンティティを考えさせられました。またアメリカ人のメンバー相手に秋吉さんが指揮する姿はとても大きくて凛々しくかっこよかったのを覚えています。当時のメンバーには今やトランペット界の重鎮ボビー・シュー(Tp)、現在は東京在住のマイク・プライス(Tp)そして旦那様のルー・タバキン(Ts)などのプレイヤーが在籍していました。ボビー・シュー(Tp)は今年も来日し私のビッグバンドのゲストとして参加、健在ぶりを見せてくれました。(写真:上)

1982年にニューヨークへ戻り、【秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキン】を結成。ジム・スナイデロ(As)、コンラッド・ハーウィック(Tb)、ブライアン・リンチ(Tp写真:下)などニューヨークの凄腕が在籍しアンサンブル、ソロともに充実していました。

秋吉さんの楽曲はKENDOR出版社から数多く出版され現在でもアマチュアバンドのレパートリーとして演奏されています。サックスセクション全員がフルートの持ち替えやビバップに根ざした急速フレーズ、曲の解釈も含め緻密で難曲ぞろいです。また常に音楽でもって社会状況を表現されてきた姿勢に感銘を受けます。

2003年、30年にわたって活動を続けられたが惜しまれつつバンドを解散。いつだったか大阪でのコンサート後に食事に飽きたからと天神橋筋の『天五屋』という鰻屋に秋吉さん真っ赤なステージドレスのままタバキン氏と一緒に連れまわしたのが記憶に残っています。

2006年日本人としては初めてジャズ発展に貢献した功績が認められ全米芸術基金[NEA]ジャズマスター賞を受賞されました。 そして今月12月4日76歳にして初のマキシシングルをリリース!! 世界平和を祈念して制作された「HOPE」 愛娘でありシンガーでもある"Monday満ちる"さんが歌っています。今後もますますお元気で、ビッグバンドの作品もたくさん書いてほしいものです。


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