ビッグバンドトーク
野々村 明 これまでに私が実際に見た、聴いたバンドについて順次紹介します。
古くは30年前に来日したベイシー、サド・メル、敏子・タバキン、
ギル・エバンスなども記憶をたよりにそのうち書きたいと思います。
ビッグバンドって
ビッグバンドはポピュラー音楽、特にジャズにおけるバンド形式の一つ。一般には大人数編成によるアンサンブル形態のバンド、あるいはこの形態で演奏されるジャズのジャンルのことを指す。前者はジャズ・オーケストラ、後者はビッグバンド・ジャズと表現をすることもある。アンサンブルの形態としては、高度なアレンジとソロパートの組み合わせにより演奏されるため、即興演奏を主とするジャズ・コンボとは対極を成すといえる。ジャズのジャンルとしては1930年代と1940年代に主流となっていたスウィング・ジャズと同義語とされることも多いが、近年ではビッグバンドの形式でスウィング・ジャズ以外(ビバップ、フュージョンなど)が演奏されることも多いため、現在では必ずしも同義語とは言えない。※出典: フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」
メイナード・ファーガソン・オーケストラ バックナンバー

ジャズ史におけるもっとも影響力のある音楽家かつバンドリーダーの一人、ウォルター・メイナード・ファーガソンが、2006年8月23日午後8時(現地時間)、カリフォルニア州ヴェンチュラのコミュニティ・メモリアル病院で亡くなった。78歳だった。

メイナード・ファーガソンは、1928年5月4日モントリオール生まれで、13歳の時にカナダ放送局管弦楽団のフィーチャード・ソロイストとしてデビューを飾った。 彼は1940年代の偉大なビッグバンド・リーダーたち、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、 ディジー・ガレスピー、チャーリー・バーネット、トミー・ドーシー、スタン・ケントンなどと共演 した。 1945年、17歳の時に、ファーガソンは自身のビッグバンドのリーダーとなった。

この78歳の音楽的天才は、60作を越えるアルバムを録音し、数多くの栄誉と賞を与えられ、 「Gonna Fly Now」ではグラミー賞にノミネートされた。 ザ・ボス(ファーガソンの愛称)は、何十年も満員の会場で演奏し続けてきた。
ごく最近は、ファーガソンとビッグ・バップ・ヌーヴォー・バンドは、アメリカ国内を演奏するこ とが多かった。彼は9月半ばに東京から始まる秋の日本ツアーの準備をしていた・・・

吹奏楽コンクール命だった中学時代、ブラスロックが全盛でシカゴやBS&T、チェイスを隠れて聴いていた私はたまたまFMラジオのジャズ番組から流れたマッカーサーパークやヘイ・ジュードなどのヒット曲をこれでもかという高音で吹きまくるファーガソンの「成層圏ハイノート」に強い衝撃を受けました。

当時ジャズというカテゴリーを越えた"クロスオーバー"ミュージックが注目されたころで新しい音楽をいかにビッグバンドで再現するかバディ・リッチやウディ・ハーマンなども試みていたころですが、耳に突き刺さるファーガソン率いるトランペットセクションのハイノートには一種生理的な爽快感がありました。音楽の精神性、芸術性とは別の次元のエンターテイメントだという辛口の批評もありましたが私にとってはどーでもえーことでした。

1974年6月2日(日)私が高3の時に初来日しフェスティバルホールB席2,000円で見に行きました。オープニングのブルーバードランドで Stan Markがファーガソンを舞台に呼び出しおもむろにハイノートを吹く。吹ききったあとトランペットを素早く唇から外すポーズがかっこよくて真似したものです。

その後レコードを買いまくり「Give It One」「The Way We Were」を耳コピして無謀にも高校最後の定期演奏会で演ってしまいました。もちろんブラバンの編成でしたが弦バスがエレベを、パーカッションにドラムセットを叩いてもらい、今思うとヒンシュクやったやろなと思います。

1976年6月11日(金)厚生年金大ホール2回目の来日。当然行きました。

以降、編成を縮小しながらも今日までバンドを第一線で引っ張り、そしてこの9月に久々の来日が決まっていただけに、直前の訃報はやはりショックでした。。。
ご冥福をお祈りします。

写真は1991年来日時のもの。

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