吹奏楽コンクール命だった中学時代、ブラスロックが全盛でシカゴやBS&T、チェイスを隠れて聴いていた私はたまたまFMラジオのジャズ番組から流れたマッカーサーパークやヘイ・ジュードなどのヒット曲をこれでもかという高音で吹きまくるファーガソンの「成層圏ハイノート」に強い衝撃を受けました。 |
当時ジャズというカテゴリーを越えた"クロスオーバー"ミュージックが注目されたころで新しい音楽をいかにビッグバンドで再現するかバディ・リッチやウディ・ハーマンなども試みていたころですが、耳に突き刺さるファーガソン率いるトランペットセクションのハイノートには一種生理的な爽快感がありました。音楽の精神性、芸術性とは別の次元のエンターテイメントだという辛口の批評もありましたが私にとってはどーでもえーことでした。 |
1974年6月2日(日)私が高3の時に初来日しフェスティバルホールB席2,000円で見に行きました。オープニングのブルーバードランドで
Stan Markがファーガソンを舞台に呼び出しおもむろにハイノートを吹く。吹ききったあとトランペットを素早く唇から外すポーズがかっこよくて真似したものです。 |
その後レコードを買いまくり「Give It One」「The Way We Were」を耳コピして無謀にも高校最後の定期演奏会で演ってしまいました。もちろんブラバンの編成でしたが弦バスがエレベを、パーカッションにドラムセットを叩いてもらい、今思うとヒンシュクやったやろなと思います。 |
1976年6月11日(金)厚生年金大ホール2回目の来日。当然行きました。 |
以降、編成を縮小しながらも今日までバンドを第一線で引っ張り、そしてこの9月に久々の来日が決まっていただけに、直前の訃報はやはりショックでした。。。
ご冥福をお祈りします。 |
写真は1991年来日時のもの。 |