ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
ペーター・ブロッツマン

これほど「フリージャズ」の「フリー」という言葉の意味合いをはっきりわからせてくれるミュージシャンもいない。「フリージャズってなんですか」という問いに対しては、ブロッツマンを生で見ろ、というのがもっともわかりやすい答になるだろう。難解で敷居の高い音楽だと思われている「フリージャズ」が、「なんだ、こんなに肉体的で、楽しく、わかりやすい音楽だったのか」と納得させてくれる……それがペーター・ブロッツマンなのだ。

彼こそ真の意味での「怪物」である。ブロッツマンの演奏スタイルを一言で言うと「むちゃくちゃ」で「ひたむき」だ。彼は、テナーサックスが主奏楽器だが、アルト、バリトン、バスサックス、クラリネット、タロガト……なども演奏するいわゆる多楽器奏者であり、たびたび来日しているが(今年も二回来ている。というか、この原稿は電車のなかで書いているのだが、今からライヴに行くのです)、そのたびに四つか五つを律儀に持ってくる。しかし、聴いている側の印象は「なにを吹いても一緒」なのである。いきなりギャーッと馬鹿でかい音で吠え、そのあと吠えて、吠えて、吠えまくり、途中で音が裏返ったら、そのままフラジオに突入し、ピーピーいわせて終わり……だいたいこのパターンだ。サックスはおろか、クラリネットでも「ギャーッ」というだけ。ほんと、なにを吹いてもやることは同じなのだ。指づかいも、でたらめといっては申しわけないが、適当に動かしているだけに見えるし、ときには持ち方も無視して管体をわしづかみにし、すばやく上下に手を動かすだけのときもある。こうなるとフレーズがどうの、とか、サックスの奏法がどうの、とか、アンブッシャーがどうの、といった次元ではない。とにかくくわえてでかい音を出し、「ギャーッ」という。それがすべてである(まあ、実際はそう単純でもなく、いろんなことをしているわけだが、聴き終えた感想はつねに上記のとおりなのだ)。そんな演奏では、聴く側ですぐに飽きてしまうと思うだろう。ところがこのおっさん(今年で六十八歳だそうだから、そろそろ爺さんである)は六十年代からこうした演奏をひたすら追求し、毎日のように人前でプレイし続けてきた剛の者なのである。つまり、彼のむちゃくちゃででたらめな演奏が何十年も聴衆を魅了しつづけてきたということなのだ。私も、ICPオーケストラのゲスト格で来日したときにはじめて彼の「絶叫」に接してすっかりファンになり(そのときの模様は「ヤーパン・ヤーポン」というアルバムで聴ける)、以来、何度も生で聴いたが、そのたびに、「いやあ、ブロッツマンは凄い」

とつぶやいている。じつは、今回の来日も、東京で二日間聴いて、今日は三日目なのだが、まったく飽きることなく、もっと聴きたい、毎日聴きたいと思わせてくれる。まさに魅了されてしまったのである。いや、魅了などという言葉では生ぬるい。ブロッツマンを聴くものは、圧倒され、なぎ倒され、吹き飛ばされる。とにかく信じられないぐらいでかい音である。二十年ぐらいまえに共演したギターの内橋和久さんが、 「横でブロッツマンに吹かれると、音圧で後ろから追い立てられるみたいな気がして、焦ってしまう」

という意味のことを言っていたが、ブロッツマンの咆哮の迫力は、共演者をして焦燥感を感じさせるほどの「音の暴力」なのである。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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