カウント・ベイシーとくれば、これはもうデューク・エリントンであって、この二つのビッグバンドはジャズ界の至宝なのであった。ふたつとも今ではなくなってしまったが(名前を継いでいるバンドはあるけどね)、どちらもスウィング時代初期から活躍し、モダンジャズ~フリージャズ~フュージョン……と変遷した激動のジャズ史を、スタイルをほとんど変えず、しかも「昔の名前で出ています」的なノスタルジーにひたることなく、常にいきいきしたリアルジャズサウンドを提供しながら生き延びてきた、とんでもない化け物ビッグバンドなのである。というか、このふたつのビッグバンドは「ジャズ史そのもの」といってもいい。しかし、そのスタイルには大きな違いがある。
ベイシー・オーケストラが、アレンジをバンド内外から広く募ったのにくらべ、エリントンは、自分か、片腕であったビリー・ストレイホーンのアレンジしか使わなかった。だから、ベイシーには、ときどき「えっ?」というような、ベイシーらしからぬサウンドの演奏もあるのだが、エリントンに関しては一切そういうものはない。エリントンの作品はすべてエリントンカラーに塗りつぶされているのだ。
また、ベイシーが好んだアレンジは、テーマ提示もアンサンブルもリフもとにかくシンプルなものであって、ややこしい譜面ではスウィングしないよ、と考えていたのがありありとわかるが、エリントンの場合は、ときには「なんでこんなことするの?」と聴いていて頭に疑問符が??????と並ぶような、わけのわからないアレンジのものがあったりする。ほとんど崩壊寸前のような、ものすごく速いパッセージをユニゾンでやらせたり、異常な響きのするハーモニーをでかい音で轟々と響かせたり……。あれは何なのだろう。前衛的とか挑戦的とか評されるような、凄まじい音使いは、和声的にもとうていスウィングジャズの枠に入りきれるものではない。それを、こそっとやるのではなくて、エリントンはフルボリュームでどかーん! と、堂々と、真っ向から演奏した。これが凄いじゃないですか。エリントンを聴いていると、ギル・エヴァンスやストラビンスキーなどを連想することがあるが、おそらくあのわけのわからんハーモニーがそうさせるのだろうと思う。しかし、エリントンはアメリカの白人層にファンが多く、全部のレコードを持っている、というファンもいるらしい。これがわからんのです。ベイシーならわかるけど、あんなめちゃめちゃなサウンド……とても一般ウケしそうにないんやけどな。──ま、ええけど。とはいうものの、一方ではディナーミュージックのようにスウィートで、ゴージャスで、俗な演奏もやってしまうのがエリントンの凄いところでもある。おそらく、エリントン本人には前衛とか挑戦とか俗とか、そんな意識はないのだろうな。きっと、もっと高いところで、超然としてアレンジをし、演奏しているのだろう。