ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
ビッグバンドを聴こう3ーカウント・ベイシー3

一時はコマーシャルな吹き込みや、一回こっきりのレコーディングも多かったベイシーバンドだが、一九七〇年代になると、ドラムスにブッチ・マイルス、テナーにジミー・フォレスト、トロンボーンにアル・グレイ……といった逸材を迎え、三度目(と私は思うのですが)の絶頂期に入る(ちょうど映画「カンサスシティジャズの侍たち」の頃である)。パブロレーベルから「モントルー77」、「ベイシー・ビッグ・バンド」、「オン・ザ・ロード」といった傑作を矢継ぎ早に発表し、健在振りを見せつけた。このころの選曲は、古いレパートリーとサミー・ネスティコなどの新しいレパートリーが混在しており、メンバーも新旧の強者たちが顔をそろえ、バンドとしても非常によいバランスで機能していた。もちろん、その要の部分には、ベイシー御大とそれを支えるフレディ・グリーンという二大巨匠によるカンサスシティ時代からの伝統的な味わいがちゃんと残ってたことは言うまでもない。じつは私はこの時期がいちばん好きで、それというのも稀代の名テナーマン、ジミー・フォレストの演奏がふんだんに聴けるからで、とにかくフォレストは凄いのだ。コンボ作品もよいが、ビッグバンドをバックにしたときのフォレストは気合いがちがうように思う。濁った、でかい音でブロウしまくるフォレストの凄まじい演奏の一部は、前述の映画「カンサスシティジャズの侍たち」のなかの「ナイト・トレイン」でもうかがえる。ベイシーバンドの歴史は、テナーの歴史といってもいい。レスター・ヤング・ハーシャル・エヴァンス、バディ・テイト、イリノイ・ジャケー、ワーデル・グレイ、ポール・クィニシェット、フランク・フォスター、フランク・ウエス、ビリー・ミッチェル、エディ・ロックジョウ・デイヴィス、ジミー・フォレスト、エリック・ディクソン、ケニー・ヒング……と書き出すだけで壮観である。デクスター・ゴードンが「ラウンド・ミッドナイト」という映画のなかで、なにか心残りは、とたずねられ、「カウント・ベイシー楽団でプレイしなかったことだ」と語っているが(あれは俳優として演技しているわけだが、あのセリフはたしかゴードンのアドリヴだったはず)、きっと多くのテナー奏者がベイシーバンドでのプレイを望んだことだろう。しかし、この時期を最後に、ベイシーバンドのクオリティはしだいに下がっていく(まあ、あくまで私見ですが)。それは、ブッチ・マイルスをはじめとする主要メンバーの退団や高齢化、ベイシー本人の健康状態の悪化(歳だからね)……などさまざまな理由によるのだろうが、とにかくあの筆舌に尽くしがたかった躍動感は失われてしまった。それでも、ベイシー御大がそこにいるだけで、なぜかバンドは「ああいう音」がしたのである。晩年は脚も不自由になり、ステージ上の移動も電動車椅子だったが、ベイシーは明るさを失わず、最後までスウィングし続けた。今もベイシーバンドはリーダーを(何度も)かえながら存続しているが、それはもうまったく別のものである。ベイシーの死去とともにベイシーの音楽は消滅した。ジャズにおいてはそれがあたりまえのことなのだ。ただ、現在、世界中の多くのアマチュアバンドがベイシーの音楽を演奏しているが、そういうなかにカンサスシティジャズの精神は脈々と生き続けていることを我々はたやすく確認できるだろう。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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