ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
ビッグバンドを聴こう2ーカウント・ベイシー2

先日の七月十日、西宮北口にあるジャズ喫茶「コーナーポケット」のマスター鈴木喜一さんが亡くなった。まだ五十代の若さだった。鈴木さんは、日本でも有数のベイシー・フリークとして知られており、カウント・ベイシー御大やフレディ・グリーンとも親交があった。店名は、もちろんフレディ・グリーンが作ったあの曲からとったのだ。店の奥に鎮座ましますJBLパラゴンは、元来非常に鳴らしにくいスピーカーだそうだが、オーディオマニアでもある鈴木さんは、長年の苦労のすえにそれを見事に鳴らしきっていた。この店でベイシーのレコードを聴くときには、目の前にあのカウント・ベイシー・オーケストラが巨大な峰のように厳然とそびえたっているかのような迫力で、ソニー・ペインのドラムが大暴れしたあと、次の小節のド頭で、全員がそろってのテュッティが炸裂する瞬間の凄まじさといったら筆舌に尽くしがたく、私は何度も椅子から落ちた。私にベイシーのすばらしさを教えてくれた鈴木マスターのご冥福を心よりお祈り申しあげる次第である。

さて、「コーナーポケット」でよく掛かっていたのは、前回話題になっていたオールド・ベイシーのものではなく、ニュー・ベイシーと呼ばれる時期のものが多かった。世の中が不況になり、また、猫も杓子もビッグバンドを持っていた時代も終わり、モダンジャズの時代、つまりコンボの時代が到来した。カウント・ベイシーも、カンサスシティ時代からずっと率いていたビッグバンドを解散し、一時はコンボを組んでいたのだが、数年後、
「やっぱり俺はビッグバンド向きだ」

と思ったのかどうなのか、ふたたびビッグバンドを結成したのだ。その演奏は、かつてのような、譜面もない、編曲も簡単なヘッドアレンジ、優秀なソリストの奔放なソロをシンプルなリフでぐいぐい盛りあげる……といった、いわゆるカンサスシティ形式のものとはまるでちがったものに聞こえた。ニール・ヘフティやベニー・カーターといった外部のアレンジャーや、サド・ジョーンズ、フランク・フォスター、アーニー・ウィルキンスといったバンド内アレンジャーたちによるがっちりしたアレンジがほどこされ、かっこいいイントロからテーマ、ソロ、アンサンブル、そしてテーマからエンディングという起承転結がはっきりした、ある意味、「ビッグバンドのお手本」のような音楽であった。ライバルでもあったデューク・エリントンが自身の編曲による、かなりあくの強い、独特の世界を築いていたのに比べ、この時期のベイシーが用いていた譜面は、たしかにかっこいいけれど、それほど個性の強いものではない。それが、ベイシーバンドの手にかかると、独特で、一音でベイシーバンドだとわかるような、オリジナリティ豊かなものに変貌するのはまさに魔法である。その理由はおそらく、

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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