ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
大きいことはいいことか

今回は根本的な話題である。

ビッグバンドという言葉を直訳すると、大きな革製の帯……ではない、大きな楽団ということになる。そうだ。ビッグバンドというのは大きなバンドなのである。ジャズというのは三人編成、つまりトリオが基本である。ドラムとベースとピアノ、これがピアノトリオであって、そこへ管楽器やギターなどが加わると、ピアノトリオはリズムセクションという名前になり、カルテット、クインテット、セクステット、セプテット、オクテット、ノネット、テンテット……となっていく。では、三人未満ではジャズはできないかというとそんなことはない。もちろんデュオでもソロでもちゃんとジャズになるわけで、となると、ビッグバンドにずらりと居並ぶ、あの大人数はいったいなんのためにいるのだろう……という疑問が生じる。だって、ソロでもジャズなんですよ。それをトランペット四、トロンボーン四、サックス五、ピアノ、ベース、ドラム、ギター……十七人もいて、しかも、ソロとかデュオだと、奏者が弾かないとその部分は無音になってしまうから、とにかく最初から最後までなんらかの音を出している、つまり、働いているわけだが、あのビッグバンドの後ろに並んでる管楽器は、ずーーーーーっと休んでいて、ときどき「パー」とか「ピー」とか「ピロピロ」とか吹くだけではないか。彼らはなにをしとるんだ。もっとちゃんと働け。あいつら、ほんとに必要なのか?

正面切ってそう問われると、答に困る。うーん……必要といえば必要なんだけど、いらんといえばいらんのかもなあ。

たとえばビッグバンドといっても、カウント・ベイシーなんかだと上記の編成がふつうだが、ほかのビッグバンドに目を転じると、その楽器編成も人数もいろいろである。エリントンだと、五サックスにクラリネットがいたり、ピアノが二人いたりする。ギル・エヴァンスなんかは、モダンなビッグバンドの代表のように言われているが、ひどいときには管楽器は五、六人しかいなかったりする。ビッグというよりスモールなのである(手元のCDをみると、明田川荘之&アケタ西荻センチメンタルフィルハーモニーオーケストラは管楽器が四人しかいないし、渋谷毅オーケストラは五人である)。逆に、ピアノのほかにキーボードがいたり、チューバやホルンがいたり、パーカッションがいたりして人数が増える場合も多く、ドン・エリスは一時、三ベースに二ドラムというリズムセクションを使っていた。オリバー・ネルソンの「スイス組曲」というレコードなど、なんとトランペット五、トロンボーン七、サックス八、ピアノ一、ベース二、ドラム二、パーカッション二の二十七人編成だし、一時のスタン・ケントンは四十人いたという。しかし、あるミュージシャンは小声で言っている。
「シンセが一台あれば、十七ピースの音が出せるんだ。そのほうがひとり当たりのギャラもよくなるってもんだ」

このシンセというのが曲者であって、多くの管楽器奏者は、
「シンセ? そんなもん、生の楽器の迫力ある音に比べたらカスみたいなもんやで」

と声を荒らげるが、実際、巷にあふれるほとんどの「ビッグバンドジャズ風」の音楽は打ち込みとシンセでできているわけで、シンセの出現によって、多くの管楽器奏者が職を失ったのである。だとしたら、(さっきの問いに戻るが)ビッグバンドの後ろにずらっと並んでいる彼らは、いったいなんのためにいるのか。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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