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ジャズ探訪記関西を中心に、往年の名盤を聴かせるバーから、生演奏も楽しめるレストランまで人気のジャズスポットを紹介!

vol.62
Tokyo TUC Akiba

若きミュージシャン、名乗りを上げよ!
@東京・秋葉原

千代田区岩本町。江戸時代から栄え、戦後は繊維の町として復興。オフィス街とはいえ、今なお古くからここで暮らしてきた人々の気配がする。そんな町の一角にTokyo TUCはある。
オープン直後から本格的なジャズクラブとして注目を集めてきたが、この店を取り仕切るプランナー・田中紳介さんの経歴もまた強烈だ。
1963年、田中さんはライオネル・ハンプトン楽団のバリトン・サックス奏者として約40日間のアジアツアーに参加する。ハンプトン楽団は若手の登竜門であり有名ミュージシャンを数多く輩出したことでも知られている。この時に同行した日本人は、菊池雅章(pf)と稲垣次郎(ts)。日本のジャズ史に名を残すプレイヤーたちだ。
「当時、僕は大学生。赤坂のナイトクラブに出演した際、彼のテーブルに呼ばれスカウトされた。喜んで引き受けたものの、ツアーでの経験はそれはハードなものでした。」
このツアーは、沖縄を含む日本各地、韓国、フィリピンなどの米軍基地を回り、米国兵の慰問をする仕事。田中さんは必死に譜面を追い、次々と求められる高い要求に応える毎日だった。だがそんな日々を終え、彼が出した結論とは、プレイヤーを辞めることだった。
「人種差別を目の当たりにしました。長い歴史の中で、彼らは苦悩し、演奏することでどん底からはい上がって生きてきた。厳しさの度合いがまるで違う。そこで磨き抜いたジャズの精神や才能は、とても日本人の及ぶところではない」と。
田中さんは、その後大学へ戻り、卒業後は一般企業の会社員となった。

そして再びジャズと向き合うことになるのは30年後の1993年。
親戚が経営している会社から、ジャズクラブ運営を持ちかけられたことがきっかけだ。
「バブル崩壊直後で、このあたりの繊維街が次々と破綻。近所にあった小・中学校も閉鎖され、子どもの姿がなくなった。僕の地元でもあるこの周辺をなんとか活性化できないか、という思いから会社を辞め、仕事を引き受けました。」
倉庫になっていた地下スペースを、音楽好きの社員とともに手造りで改装。一流の音響設備を専門家に依頼し、Tokyo TUCをスタートさせる。かつてのジャズ人脈を活かし、多くの海外有名アーティストを次々招致した。レイ・ブラウン・トリオ、ランディ・ブレッカー、ルイス・ナッシュ、マルグリュー・ミラー、スコット・ハミルトンなど、枚挙にいとまがない。

一方、首都圏のライブハウスや関西にまで足を運び、国内の新人発掘にも力を注いできた。大坂昌彦、川嶋哲郎、守屋純子、TOKU、ケイコ・リー、綾戸智絵、など、現在の彼らの活躍を考えると、その耳の確かさには驚かされる。
Tokyo TUCは評判を呼び、周辺には一軒、また一軒と飲食店が建ち並んで、町は少しづつ活気を取り戻していった。またTV番組に取り上げられたことから、周辺の住民にも事業に対する理解が得られるようにもなった。
「ジャズクラブ運営というのは、好きでないとできないけれど好きなだけでもできない事業。単なる水商売やレンタル・ホールとも違う。芸術性と娯楽性のバランスを取りながら、新しい才能に場所を提供することがこの仕事の使命」と田中さん。

取材させていただいたこの日のライブは、野口 茜(pf)率いるラテンビッグバンド Monaural Banquet Orchestra。会場は満席。立ち見が出るほどだ。
「彼女のひたむきな話を聞いているうち、心を動かされました。守屋純子、山中千尋、宮嶋みぎわ、とクオリティが高く、信念を築く強さを持っているリーダーは近頃女性ばかり」と、手厳しい。
「なんでもっと売り込んでこないんだろう。堂々と名乗りをあげて、自分はこうだ!と主張しなければ表現の世界では通用しない。まあ日本人はシャイなんだろうけどねえ」とも。そしてこう続ける。
「リーマンショックや震災以降、音楽の仕事は激減した。大げさに言えば不撓(ふとう)不屈の精神がなければ、ミュージシャンも我々も今の状況を乗り越えられない。でもジャズとは元来そういう宿命。そこから新しい才能がどんどん生まれてくる。残りの人生、僕はジャズでやり抜こうと決めている」。
田中さんのことばは、厳しさだけではなく、人も音楽も町も、大切に守ってきたやさしさにあふれていた。その想いが店の隅々まで満たし、暖かな居心地の良さを感じさせる。

ライブ終了後、店を後にする観客一人ひとりに、田中さんは丁寧に声をかけていた。そこには足を運んでくれたお客さんに対する敬意と感謝が込められている。彼のまなざしは、ジャズを愛する全ての人々と未来に、これからもまっすぐ向けられていくことだろう。
その心意気に、胸を打たれた。